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福岡地方裁判所 昭和36年(ヨ)594号 判決 1967年4月24日

申請人 白鳥明 外二九名

被申請人 三井鉱山株式会社

主文

申請人甲斐弘、同船盛順二、同浜田義春が、被申請人に対し雇傭契約上の権利を有する地位を仮に定める。

その余の申請人らの申請は、これを却下する。

訴訟費用中、申請人甲斐弘、同船盛順二、同浜田義春と被申請人との間に生じた分は被申請人、その余の申請人らと被申請人との間に生じた分は同申請人らの各負担とする。

(注、無保証)

事実

申請人ら訴訟代理人は「申請人らが被申請人に対し雇傭契約上の地位を有することを仮に定める。」との裁判を求め、申請の理由並びに被申請人の主張事実に対する答弁として次のとおり述べた。

一、被申請人は石炭の採掘販売等を業とする株式会社であり、申請人らはいずれも被申請人の従業員で、三池炭鉱労働組合(以下三池労組と称する。)の組合員であるが、被申請人は申請人らにいずれも労働協約第一二条、三池炭鉱々員就業規則附属書第三号鉱員賞罰規則第八条に該当する行為があつたとして、申請人高山辰晴、同古城将秀に対し昭和三六年一二月一三日付で、その余の申請人らに対し同月一一日付でそれぞれ解雇の意思表示をなし、同意思表示はその頃申請人らに各到達した。

二、しかしながら、申請人らにはいずれも右労働協約第一二条、三池炭鉱々員就業規則附属書第三号鉱員賞罰規則第八条に該当する行為はない。労働協約、就業規則はいずれも従業員を解雇できる場合を制限的に列挙したもので、労働協約においては労働組合との協定により、就業規則においては被申請人の自己の意思によつて、被申請人は右に規定する以外の場合には従業員を解雇しない旨、解雇権の自己制限をしているものであるから、同列挙条項に該当する行為のない申請人らに対してなした右解雇は同労働協約、同就業規則に違反し無効である。

三、被申請人が申請人らを解雇したのは、申請人らがかねてから熱心に組合活動をしていたことを嫌い(申請人らの組合役員としての経歴は別紙の内組合役員としての経歴欄記載のとおりである。)、かつ三池労組を切り崩す意図でなしたもので、労働組合法第七条一号、三号の禁止する不当労働行為として無効である。

四、申請人らに対する解雇は、左記のように、いずれも信義則に違反し、解雇権の濫用によるものであるから無効である。

(一)  被申請人は昭和三四年八月二八日被申請人会社全山で四、五八〇名(三池鉱業所二、二一〇名)の人員削減、解雇に伴なう配置転換等を含むいわゆる第二次企業整備案を三井鉱山労働組合連合会(三鉱連)に提示した。同案について三池労組と被申請人の間で引き続き団体交渉が行なわれたが、その後団体交渉は決裂し、同労組は時限スト、時間外労働拒否等の争議行為を行なうにいたつた。ついで同年一一月六、七日頃被申請人は退職者数確保による右人員削減の外業務阻害者を解雇したい旨の意向を示し、被申請人の合理化の攻勢に最も強い抵抗を示すと思われる組合活動家を追放し労働組合の骨抜きを策した。同月二一日中央労働委員会から、人員整理について被申請人会社原案の数字の実現を期し一〇日の期限をもつて希望退職者の募集を行なうこと、同募集について組合は妨害しないこと等七項目にわたるいわゆる中山あつせん案が提示されたが、同案は、組合としては組合破壊と大量首切りの要素を含んでいるため、また被申請人としては業務阻害者の解雇を容認していないとして労使双方いずれもこれを拒否するところとなり、被申請人は同年一二月二日から五日にかけて三池労組の役員組合活動家を中心とした一、四七一名(被申請人発表は一、四九二名)に対し、同日一〇日までに希望退職を申し出なければ指名解雇を行なう旨の退職勧告状を発し、右被勧告者の内右一〇日までに希望退職を申し出なかつた者に対して改めて同月一一日付で同月一六日から解雇の効力が生ずるという解雇通告書を出し、同月一四日三池労組に対し右指名解雇後の配置転換について団体交渉を申し入れ、ついで昭和三五年一月二五日から三池港務所を除く三池鉱業所全域にわたつてロツクアウトを通告してきたので、三池労組は三池港務所支部の組合員を含めて全面ストを行なうにいたつた。ところが、被申請人の最高幹部に指導された職員によつて計画的に準備された組合切り崩しのために結集された組合批判勢力によつて、同年三月一五日大牟田市で開催された同労組中央委員会の頃から同労組の分裂が表面化し、三池労組刷新同盟が作られ、ついで同月一七日右同盟は第二組合である三池炭鉱新労働組合(以下新労組と称する。)を結成するにいたつた。日本炭鉱労働組合(炭労)は石炭資本に痛打を与え三池の企業整備反対闘争を三鉱連、全炭労の統一闘争に盛り上げ、いずれは全組織を挙げて日本労働組合総評議会(総評)三〇〇万による闘いに持ち込むべく、同月一八日三鉱連傘下の各支部(三池支部を除く。)に対しても同年四月一日以降のストを指令した。しかし、同月二四日頃から三鉱連傘下の各支部で右スト指令返上の動きが目立ち始め、同日被申請人は新労組と生産再開交渉を始め、同月二六日新労組の保安要員の一部は籠城を始め、同月二七日被申請人から生産再開の宣言がなされ、新労組員四、〇〇〇余名に対して就労命令書が発送され、第二人工島新開竪坑には三井建設株式会社傘下の人夫と称する男約二五〇名が棍棒を持つて押しかけ、同所でピケについていた国労オルグ約一五名を海岸に追いつめ包囲した後新労組員約三〇〇名が船で第二人工島北側海岸から上陸入坑した。ついで、同月二八日一番方から三池鉱業所の三川鉱、四山鉱、宮浦鉱、港務所、本所で新労組員の強行就労が試みられ、各所で新労組員と三池労組ピケ隊の衝突や小ぜり合いが行なわれたが、中でも三川鉱東仮設門附近においては入構しようとする新労組員、暴力団とこれを阻止する三池労組ピケ隊との間に激しい衝突がなされ、三池労組員、新労組員、被申請人会社職員が三つ巴になつて乱闘するという悲惨なものとなり、この第二人工島事件と三川鉱乱闘事件は三池労組と新労組との対立を決定的のものとし、憎しみが双方組合員の心を捉え暴力的根源が培われて行つた。翌二九日には四山鉱正門前でピケについていた三池労組員久保清が暴力団員の手によつて刺殺されるという事件が生じ、その後同年八月一〇日中央労働委員会のあつせん案が発表されたが、争議解決にいたるまで、被申請人の強引な組合破壊政策、一部の分裂主義者の挑発、官憲の不当弾圧、暴力団の争議介入等によつて労使間および三池労組と新労組間で屡々混乱が起り、右争議解決後にいたるまで数多くの刑事々件が起つたが、申請人らの本件解雇の理由となつた争議中の多くの事件はこのような激しい闘争の渦の中からやむをえず生起したものである。

(二)  (1)かように、申請人らに関する事件が起つたのは、被申請人の右企業合理化に対する労働者の怒りと、どうしても勝たなければならないという労働者の死にもの狂いの闘いの反映であり、公然と三池労組の切り崩しをした被申請人職制、新労組員らへの当然の怒りであり、労働争議という異常な興奮に包まれた雰囲気がもたらした特別な争議心理の作用の中で、労働者にとつて暴力事件に連座するかしないかは殆ど自己の意思を超えた偶然に支配され、組合の指令に忠実に従い積極的に闘争に参加すればする程暴力事件に連座する機会も多くならざるをえないという避けられない事情の下で、特殊、例外的に起つたものであつて、このような争議の場における暴力事犯は本来懲戒になじまないものである。

(2) 申請人らの行為の中で、故意に会社施設に損害をおよぼしまたは業務の運営に支障を来たさせた者があつたとしても、それは平常の生産過程の状態における会社施設や業務運営ではなく、三池労組を敗北させ壊滅させるための被申請人の三池労組に対する支配介入、新労組の裏切りとスト破りが一体となつて生産再開の用に供されていた会社施設、業務運営に外ならないのである。

(3) 争議中三池労組に対して数々の切り崩しを行なつて不当労働行為をした被申請人は、クリーンハンドの原則に徴しても、右争議における労働者の責任を追及して懲戒解雇処分にする資格はない。

(4) 右争議を長期化し混乱に追いこみ解決を困難にしたのは、被申請人の経営者としての不手際、不始末によるものであるにもかかわらず、経営者側の責任は不問に付して労働者に対してのみ責任を追及することは一企業内における責任追及としては片手落ちの処分であつて公平を欠くものである。

(5) 被申請人として、申請人らを懲戒解雇するにあたつては、先ず申請人らの平素の人柄、性格、暴力的性向、仕事振り等従業員としての適格性について検討すべきであるのに、本件解雇についてはこれらの点について全く考慮されていない。申請人らの行為は、前叙のように、労働争議という異常な状況の中で起つた特殊例外的行為であり、争議妥結後においては再発するおそれはなく、申請人らの本質的人格によるものではないのである。このような解雇は許されない。

(6) 五、〇〇〇名を越す右争議参加者の内、被申請人は争議全体に対する責任追及として三池労組の最高指導者一〇名を懲戒解雇にした外申請人らを懲戒解雇にしたのみで、その余の争議参加者に対しては何等懲戒処分をしていない。しかし申請人らの行為が争議に参加した他の組合員に較べて異質のきわだつたものでもなく、また百数十名にのぼる三池労組員が起訴されたが、その内申請人の起訴事件が特に重いものでもないことは、全起訴者に対する有罪判決の主文の比較によつても明らかであると共に、申請人らに対する懲戒解雇は起訴された事件が解雇の決定的動機となつており、若し申請人らが起訴されていなければ解雇されていなかつたであろうことが明らかである。しかも就業規則の中には懲戒事由の軽重に応じて懲戒処分に段階を設けているにもかかわらず、申請人らをその内最も重い懲戒解雇に処したことは著しく不合理であり、かつ不公平である。

五、申請人らは被申請人を相手に従業員たる地位の確認等を求める本案訴訟の提起を準備中であるが、申請人らはいずれも別紙の内、家族欄記載のとおりの家族を扶養している給料生活者であつて、本案判決確定にいたるまで被解雇者として処遇されることは申請人らにとつて大きな損害であるから、本件仮処分申請におよぶ。

六、被申請人の申請人らに対する解雇理由事実についての認否は次のとおりである。

(一)  申請人山田幸男について 被申請人主張の日の午前中、主張の場所附近に、主張の新労組員ら、同申請人、三池労組員数百名がいたことは認める。主張の者が主張のような負傷をしたことは不知。同申請人が主張のような煽動暴行をなしたことは否認する。

(二)  申請人平畑勇について (1)の事実中、被申請人主張の頃ロツクアウトが宣言されていた主張の場所に同申請人外主張の千数百名が入つたことは認める。被申請人が三池鉱業所本所の門扉を閉じ許可なく入場を禁止し、被申請人会社職員で監視していたことおよび三池労組員らが同構内に主張のように乱入し、主張のような暴行等をなしたこと、吉畑真澄が暴行をうけている警備職員らの救出に赴いたこと、同人が傷害を負つたことは不知。同申請人が主張のような暴行をなしたことは否認する。

(2)の事実中、同申請人が被申請人主張の頃主張の場所附近にいたことは認めるが、主張の者が負傷したことは不知。同申請人が主張のような暴行をなしたことは否認する。

(三)  申請人下田巡一について (1)の事実中、同申請人が被申請人主張の頃主張のパチンコ店で、主張の森竜雄を見たことは認めるが、同人が負傷したことは不知。同申請人、他の四名(三池労組員)が主張のような暴行をなしたことは否認する。右森が右四名の三池労組員と同パチンコ店を出たので、遅れて出てみると、同パチンコ店横の路地で三池労組員と森が口論しているようであつたが、すぐ口論は終り、同人らは別れた。

(2)の事実中、同申請人が被申請人主張の頃主張の場所に赴いたことは認めるが、森竜雄が負傷したことは不知。その余の事実は否認する。

(四)  申請人百田昭について (1)の事実中、被申請人主張の日早朝、従来他の職場に就労していた主張の二名が主張の職場に主張のように配役されて入坑し、就労しようとしていたこと、同申請人が主張の二名に昇坑をすすめたこと、主張の三名を除く主張のい方(一番方)の三池労組全員が昇坑して作業を放棄したことは認める。当時同申請人は右一〇昇い方カツペ分会の職場闘争委員長をしていたが、右二名が三池労組の配置転換拒否指令に違反して入坑したので、右指令の趣旨を説明して配置転換前の職場に戻るため昇坑をすすめたものであり、また職場放棄は、同組合四山支部長木村正隆の右全員に対する指名スト指令に基づき正当な争議行為としてなされたものである。

(2)の事実中、同申請人が被申請人主張の日の繰込時間頃主張の服装のまま主張の場所で主張の係員に対し主張の報告に関して抗議し、職場常会延期の理由について質問したこと、係長、鉱長に面会を要求し、鉱長室で鉱長と同月二〇日の件について交渉したこと、当時同室に多数の三池労組員が来ていたこと、当日い方全員の入坑が遅延したことは認めるが、同申請人がい方全員に対して入坑を拒否することを煽動しその入坑を遅延せしめたことはない。

(3)の事実中、被申請人主張の日に主張の場所で主張の係員二名が鉱内に入ろうとしたときピケ隊員が入構しないよう説得し、双方間に押し問答のあつたこと、その後右二名はピケ隊員と四山鉱正門の方に行つたこと、同申請人がその頃四山分院前附近にいたことは認めるが、右係員二名に対し説得したこともデモをかけたこともない。

(4)の事実中、被申請人主張の日の午後主張の二名が主張の古賀小一方に帰つて来たこと、同人方で三池労組員数十名が右両名に対し同人らが新労組に加入したことに抗議したことは認める。殊に争議突入当時三池労組四山支部執行委員であつた下河春雄に対しては同組合員を裏切つて第二組合を作つた理由の釈明を求めた。下河が負傷したことは不知。同申請人が右両名に対し主張のような暴行、脅迫をなしたことはない。

(五)  申請人原口豊について (1)の事実中、同申請人が被申請人主張の日の午後七時頃同主張の六倉広市方に行つたこと、当時同人方に同人の妻和子がいたことは認めるが、同主張のような破損、損害をおよぼす行為をなし、暴行をなしたことは否認する。

(2)の事実中、同申請人が被申請人主張の日の午後八時頃主張の小川米光方で同人の妻タキに対し、久保清が殺されたことに関連して、その夫米光が新労組に入つたことに抗議したことは認めるが、主張のような破損、損害をおよぼす行為をなし、暴行をなして右タキに主張のような傷害を与えたことは否認する。

(3)の事実は全部否認する。

(4)の事実中、被申請人主張の日に主張の仮処分決定があり、被申請人が主張の日に同決定を公示したこと、同日午後六時過頃被申請人の職員らが主張のホツパーに来たこと、当時同申請人が三池労組員らと共に同ホツパー階段附近に行つたこと、同労組員中被申請人側のスト破りに抗議する発言する者がいたこと、黄色発煙筒が用いられたことは認めるが、右職員らの氏名、用務等および被申請人側作業員がホツパー下部施設における主張のような作業遂行ができなかつたことは不知。同申請人が自らまたは三池労組員と共謀し主張のように多数の威力、気勢を示し、威力を用いて被申請人の業務を妨害したことは否認する。

(六)  申請人永瀬茂について 被申請人主張の頃二〇名位の者が中型乗用者、小型バスに分乗して主張の南門附近に来たこと、同所附近にいた三池労組のピケ隊が右自動車を停車させこれら車に乗り込んでいた者を下車させたこと、同組合員中、小型バスの窓硝子を竹棒等で叩いて割り、同車に乗つていた者に「裏切者、スト破り」等と怒鳴り、下車を要求する組合員がいたこと、小型バスを左右に揺り動かすピケ隊員がいたこと、主張の車に乗つて来た者でピケ隊員から竹棒等で殴られまたは小突かれたりした者があつたことは認める。右各車で来た者の身分、目的等および伴外一一名が負傷したことは不知。中型乗用車を竹、棒等で乱打したこと、同申請人が自らまたは共謀して被申請人主張のような暴行、脅迫をしたことは否認する。同申請人は当日午後一時前頃四山支部鶯分会の連絡員としてピケ隊員の弁当を持つて南門に来た際、被申請人主張の騒ぎが始まつたが、同申請人は離れてこれを見ていたにすぎない。

(七)  申請人白鳥明について (1)の事実につき、(六)申請人永瀬茂主張と同旨の外、紫牟田徳行が負傷したことは不知。申請人白鳥明が被申請人主張のような暴行をなしたことは否認する。

(2)の事実につき、昭和三五年四月末頃同申請人が三池労組員二〇名位と共に被申請人主張の場所にいたこと、当時同所に被申請人主張の者が入浴に来たこと、同所にいた三池労組員の中で渡辺正明が三池労組を裏切つて新労組に行つたことに抗議する発言をする者がいたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(3)の事実につき、同月末頃同申請人が申請人星下喜楽その他の三池労組員と共に被申請人主張の場所附近に行つたことは認めるが、主張の硝子が破損したことは不知。その余の事実は否認する。

(4)の事実は否認する。

(八)  申請人辻与曾吉について (1)の事実中、同申請人が被申請人主張の頃主張の所場に行つたことは認めるが、主張のような暴行等をなしたことは否認する。同申請人が主張の場所に行つたときには騒ぎの大部分は終つていた。

(2)の事実中、同申請人が被申請人主張の日の夕刻主張の場所に赴いたこと、当時バツトを所持していたことは認めるが、主張のようにバツトで叩いたこと、脅迫したことは否認する。

(3)の事実は否認する。

(九)  申請人星下清について (1)の事実中、同申請人が被申請人主張の頃主張の場所に行つたことは認めるが、主張のような暴行、脅迫をなしたことは否認する。

(2)の事実中、同申請人が主張の日の朝主張のところで賀喜良夫の妻賀喜キヨ子と話をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。同人と新労組の問題で話し合いをなし、右良夫が帰宅していれば会わせてほしい旨を言つたにすぎない。

(3)の事実につき昭和三五年四月中旬頃同申請人が坂本吉久方に組合加入の問題について説得に行つたことは認めるが、同人の妻八重子に対し主張のように暴言をはいて同人を脅迫したことはない。

(4)の事実につき、同月下旬頃の夕方同申請人が被申請人主張のところで、三池労組の鉢巻返還のことで飯田孝則と話をしたこと、その途中三池労組員、主婦会員ら約五〇名が同所附近に集つたことはあるが、主張のようにして右飯田とその家族を脅迫したことはない。

(5)の事実につき、同月下旬頃の夜同申請人が被申請人主張の浴場で浴場番をしていた主張の近藤キクと、同人が風呂番になつた事情について話をしたことはあるが、主張のようにして同人を脅迫したことはない。

(6)の事実につき、同月下旬頃の午後一時頃同申請人が他の三池労組員と共に被申請人主張の松本行芳方で同人の妻静枝と資金カンパ返済のことで話し合いをしたことはあるが、「裏切者打ち殺すぞ。」等と暴言をはいて脅迫をしたことはない。

(7)の事実につき、同月頃同申請人が他の三池労組員と共に被申請人主張の坂本克巳方に行つたことは認めるが、右が主張の日時頃であつたかどうか判らない。同申請人が主張のような脅迫をしたことはない。

(8)の事実につき、同月下旬頃同申請人が被申請人主張のところで資金カンパ返済のことで右松本静枝と話をしたことはあつたが、同人を脅迫したことはない。

(9)の事実につき、同月頃の夜同申請人が坂本克巳と話し合うため主張のところに行き同人の存否を確めたことはあるが、主張のようにして同人を脅迫したことはない。

(10)の事実につき、同年五月初頃同申請人が主張のところで松本行芳と、同人に三池労組が貸付けていたカンパ金返済のこと等で話をしたことはあるが、「裏切者打ち殺すぞ。」等と暴言をはいて同人を脅迫したことはない。

(11)の事実につき、同月頃の夜同申請人が三池労組員と共に、新労組員説得問題のために、被申請人主張の丸山新方に行つたことはあるが、同人方格子戸が蹴破られたことは不知。主張のようにして主張の者を脅迫したことはない。

(12)の事実につき、同年八月頃主張の建物が空屋になり出入口が釘付けされていたことは認めるが、畳、床板をあげていたこと、立入禁止の表示をしていたことは不知。同申請人が同建物の釘付けを取りはずし同建物を使用したことはない。

(一〇)  申請人浜崎政徳について 被申請人主張事実中、同申請人が主張の頃四山鉱南門附近に行つたこと、同所に新労組員と思われる者約一〇名が並んでいたこと、同申請人が放り出した棒がはね返つて主張の者の手首附近に当つたことは認める。同申請人は三池労組の写真班員として同所に赴いたが、同所に到着したときには既に騒ぎは終了していたものであるから、その余の事実は否認する。当時三池労組員から新労組員らが持参したという長さ三尺位の棒を手渡されたが、同申請人が同所にいた新労組員の写真をとるため同棒をもと在つた位置に戻そうと放り出した際、同棒が主張の者の前記部分に軽く当つたにすぎない。

(一一)  申請人立山寿幸について 被申請人主張事実中、同申請人が主張の頃主張の場所にいたこと、中型乗用車が、同所附近に来たとき同申請人が同車を停止させたことは認めるが、その余の事実は否認する。同申請人は被申請人主張の騒ぎが行なわれている間、ピケ隊員を制止したものである。

(一二)  申請人星下喜楽について (1)の事実中、同申請人が被申請人主張の日の夜主張のところで川後田大助の妻維子に対し川後田大助が新労組に行つたことについて抗議する等したことは認めるが、同人に対し語気荒く詰問し、怒声を発し、主張のような行為をなして同人を脅迫し、また主張の腰板を破損させたことはない。

(2)の事実につき、昭和三五年四月末頃同申請人が被申請人主張の者と共に主張の場所にいたこと、当時主張の者が入浴のため同所にきたこと、同所にいた三池労組員の中に渡辺正明が三池労組を裏切つて新労組に行つたことに抗議する発言をする者がいたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(3)の事実につき、同月末頃同申請人が被申請人主張の者と主張の場所附近に行つたことは認めるが、主張の硝子が破損されたことは不知。その余の事実は否認する。

(4)の事実につき、同年六月頃同申請人が空家となつていた被申請人主張の社宅附近に行つたことは認めるが、主張の者らと共に水本係員外二名に対しデモをかけ、吊し上げをしたことは否認する。

(5)の事実中、被申請人主張の日の夜同申請人が主張の場所で主張の松本栄と共に新労組員松原昭雄と口論し両者間に若干の紛争があつたことは認めるが、同人が負傷をしたことは不知。同申請人および右松本が主張のように暴行、脅迫をなしたことは否認する。

(6)、(7)、(8)の事実は、いずれも全部否認する。

(一三)  申請人守田末一について (1)の事実中、同申請人が被申請人主張のような暴行をなしたことは否認する。

(2)の事実につき、昭和三五年四月頃同申請人が三池労組田中貞夫執行委員と共に中尾係員に対し空家となつた被申請人主張の社宅をオルグの宿泊所に使用させてくれるように交渉したことは認める。当時三池労組四山支部では同組合本部の指示により右社宅をオルグの宿泊所に使用するよう準備していたので、右交渉をなし、右田中執行委員の指示で右社宅がオルグの宿泊所に使用されるにいたつたものである。

(一四)  申請人甲斐弘について 昭和三五年六月初旬、被申請人主張の二名が三池労組員の要請で主張のところに赴いたこと、同所で同日午後四時頃から同九時頃まで同労組員ら多数と話し合つたこと、当時同申請人が一時同所に行つたことは認めるが、三池労組員、主婦会員らが脅迫的言辞を弄し、同申請人が主張のような怒声を発し気勢を示して右両名を脅迫したことは否認する。

(一五)  申請人船盛順二について 被申請人主張の二名と三池労組員らが主張のところで話し合いをしているとき、同申請人が一時同所に様子を見に行つたことはあるが、右両名に対し主張のように怒鳴りつけ、主張のような態度で脅迫したことはない。

(一六)  申請人浜田義春について 被申請人主張の二名と三池労組員らが主張のところで話し合つているとき、同申請人が同所に行つたことは認めるが、右両名に対し主張のように怒鳴りつけ、主張のような態度で脅迫したことはない。

(一七)  申請人内山孝之助について 被申請人主張の日の夕方かねて疎開中の新労組員横川茂春がその娘と共に主張の自宅に帰つたこと、同事実を告げるマイク放送があり、三池労組員、主婦会員、オルグら数十名が右横川方附近に集つたこと、同申請人が数名の者と共に横川宅に入つたこと、右組合員らと共に屋外に出た右横川に対し路上において右組合員、主婦会員らがデモをかけたこと、その途中横川が路上に倒れたことは認める。同申請人が右組合員らを指揮して主張の場所に押しかけたこと、横川に対し主張のように怒鳴つたり等しながら同人を屋外に連れ出し、主張のように大勢の者と共に暴行をなしたことは否認する。

(一八)  申請人西脇中川について 同申請人が被申請人主張の頃主張の場所に入り主張のようにして横川を連れ出したことは否認する。横川が包丁を手にしたという声を聞き、同人方裏木戸から裏庭縁先まで走つて行つたが、その際横川が数名の三池労組員と共に家の中から出て来るのに出合つたにすぎない。

(一九)  申請人西村一人について (1)の事実中、被申請人主張の頃主張の場所で同申請人が米村初女らに会つたことは認めるが、同人らが自宅に荷物を取りに行き主張の者らに脅迫されたことは不知。その余の事実は否認する。

(2)の事実中、同申請人が被申請人主張の頃主張の場所に入つたことは認めるが、その余の事実は否認する。同申請人はかねて親しい横川と話し合うため同人方裏庭まで来ていたところ「包丁ばなんするか。」という声を聞き、驚いて炊事場に入つたものである。

(二〇)  申請人坂口操について (1)の事実中、被申請人主張の日の朝三池労組員数十名が久保雅登係長、上野正見主席係員に対して主張の場所で抗議デモをしたこと、同申請人が同所にいたこと、保安要員の件について同係長らに抗議したこと、その後主張の事務所で同係長、組合側代表者との間で保安要員昇坑の件について交渉が行なわれた際、組合側代表者の一員として一時交渉に加わつたことは認めるが、交渉中途で退室したものであり、その余の事実は否認する。

(2)の事実中、被申請人主張の日の午後主張の場所に新労組員福島諭貴春が訪ねてきたこと、バイクにまたがつたままの同人を二、三回軽く叩いたことは認めるが、同人が負傷をしたことは不知。下駄ばきのまま足蹴りにしたことは否認する。同人は新労組が結成されるといち早く同労組に加入したが、同人は三池労組員に対して新労組加入をすすめているということを聞いていたので、同申請人に対しても右加入をすすめにきたものと直感し、かねての不満が爆発し、カツとなつて右行動に出たものである。

(二一)  申請人長山重治について 被申請人主張の頃主張の場所で三池労組員と新労組員間に紛争が起り、双方多数の組合員を動員して対立していたこと、双方共主張の頃解散したこと、同日午後九時過頃主張の場所で三池労組員多数が新労組員に対して投石し、棍棒で殴る等の騒ぎがあつたことは認めるが、新労組員松永が負傷したことは不知。同申請人が主張のように棒で右松永を殴打したことは否認する。

(二二)  申請人山中照司について 被申請人主張の日の夜、同申請人が他の三池労組員と共に主張の通用門から主張の構内に入つたこと、入門の際三池労組員と水道課給水係長長田猛との間で押し合い状態があつたことは認めるが、同人が負傷したことは不知。同人に対し主張のように暴行をなしたことは否認する。

(二三)  申請人荒岡勇について 被申請人主張事実中、主張の日に被申請人が三池労組に対してロツクアウトを宣言したこと、主張の日に新労組が結成されたこと、同年三月二八日新労組員千数百名が主張の場所附近で三池労組のピケ破りをしたこと、右に抗議して三池労組員ら多数が三川鉱構内に立ち入つたこと、同構内に立ち入つた三池労組員により被申請人会社の諸施設が破壊されたこと、同申請人が他の三池労組員らと共に三川鉱構内に立ち入つたことは認めるが、同申請人が窓、扉等を破壊したこと、主張のもので新労組員高尾行男に対して主張のように暴行をなして同人に傷害を負わせたことは否認する。

(二四)  申請人崎村敏男について (1)の事実中、主張の日の午前六時過頃三池労組員多数が三川鉱構内に立ち入り、新労組員との間に紛争のあつたこと、同申請人が他の三池労組員らと同構内に入つたことは認めるが、同申請人が被申請人主張の施設を破壊したこと、多数の者の先頭に立つて乱暴をなしたことは否認する。

(2)の事実中、昭和三五年五月六日三川鉱事件で逮捕されていた申請人崎村敏男、同高山辰晴および井手誠が釈放されたこと、同日夕刻申請人崎村敏男が三池労組員数十名と共に新労組の集会所に使用されていた主張の場所に行つたことは認めるが、主張のように乱暴、脅迫をなしたことは否認する。

(3)の事実中、昭和三五年二月下旬頃被申請人が主張の社宅事務所を一時閉鎖したこと、その後同社宅事務所が再開されたが、三池労組員が同事務所の再開に抗議して同事務所附近でデモを行なつたこと、その後同事務所が再び閉鎖されたことは認めるが、田中係員、新労組員内野が精神的肉体的疲労のため発病静養するのやむなきにいたつたことは不知。右デモの回数、方法は争う。同申請人が同事務所にデモをかけ右田中係員らを吊し上げたことはない。

(4)の事実につき、昭和三六年九月下旬頃の夕方同申請人が同僚四名と共に被申請人主張の場所を通りかかつたとき四〇才位の男(後に小川係員であることが判つた。)に出合い、同人と申請人の右同僚との間に喧嘩が起り、その同僚の中で小川に対し殴る蹴る等の暴行を加えた者があつたことは認めるが、小川が負傷したかどうかは不知。同人に対し同申請人が暴行を加えたことはない。

(二五)  申請人都甲末人について 被申請人主張の日の朝三池労組員ら多数が主張の構内に立ち入り同所で新労組員らとの間に紛争があつたこと、同申請人も他の三池労組員らと共に同構内に立ち入つたことは認めるが、同申請人が当時棍棒様のものを携えていたこと、奈良崎伝蔵を滅多打ちして同人を負傷させたことは否認する。

(二六)  申請人岩下静昌について (1)の事実中、昭和三五年三月二七日夜から二八日朝にかけて三池労組員数百名がロツクアウトを宣言されていた宮浦鉱南新開竪坑附近に行きスト破りの警戒にあたつていたこと、同申請人がピケ隊の一員として同所附近にいたこと、ピケ隊員と中本繁樹の間に紛争のあつたことは認めるが、ピケ隊員が同竪坑に行くとき主張のように破壊、強奪等したこと、三池労組員が主張の事務所等で主張のような破壊、暴行等をなしたことは不知。同申請人が率先して主張のような破壊、暴行等をなしたことは否認する。

(2)の事実中、被申請人主張の頃以降三池鉱業所の各鉱において人員の通行、資材の運搬が制限される結果になつていたこと、被申請人が主張の日に主張の岸壁で坑木類多数を積載した運搬船三隻の荷揚げ作業を行なつたこと、同作業中三池労組のピケ船がスト破りの中止を求めて説得するため同岸壁附近に数回赴いたこと、ピケ船から陸上をめがけて花火を発射し、ピケ船に乗つていた者の内、薪、石を投げる者がいたこと、同申請人がピケ船に乗つたことがあること、主張の頃ピケ船がスト破りと思われる者が乗つていた小型船二隻に停止を求め乗組員に主張のところに来てもらつたことは認めるが、主張の作業員中負傷した者があつたことは不知。同申請人が花火を打ち上げ、薪、石を投げたりしたこと、および右小型船に停止を求め右乗組員を拉致したことはない。

(3)の事実中、被申請人主張の日の正午前頃被申請人が入構者多数を上陸させようとして運搬船二隻を岸壁に接岸させようとしたこと、三池労組のピケ隊員が陸上、海上でスト破りの右入構を止めさせようとして説得したこと、同労組員と新労組員間で紛争が起つたこと、同申請人が他の三池労組員と共に小型ピケ船に乗船したことがあることは認めるが、同申請人が主張のように輸送、投石、花火発射等をなして被申請人の交替業務を妨害したことは否認する。

(4)の事実中、被申請人主張の日に被申請人が資材等を運搬船に積載して主張の岸壁から揚陸しようとしたこと、右資材船が同日朝揚陸作業のため接岸しようとしたこと、三池労組員が陸上、海上から同揚陸作業の中止を求めて新労組員らを説得しようとしたこと、揚陸作業が行なわれる頃三池労組員らと新労組員らとの間に激しい紛争が起つたこと、同申請人が小型ピケ船に乗船したことがあることは認めるが、その余の事実は争う。

(二七)  申請人小田業広について (1)の事実中、被申請人主張の日に、被申請人が運搬船に資材等を積載して主張の岸壁より揚陸しようとし、同日朝揚陸作業が開始されたこと、三池労組がスト破り警戒のため小型ピケ船で主張の岸壁附近を警戒し運搬船が来てからはスト破りの揚陸作業を中止するよう説得したこと、同申請人が小型ピケ船に乗船したことがあつたことは認める。三池労組員が主張のように花火を打ち込んだこと、ピケ船が運搬船に接近し投石、花火等により揚陸作業を妨害したこと、同申請人が妨害行為に参加し、福徳丸乗組員に竹槍を突きつけ振り廻し等して作業を中断させたこと、同船と岸壁間にわたされた道板を除去しようとしたことはいずれも否認する。

(2)の事実中、被申請人主張の日に被申請人が運搬船に資材等を積載して主張の岸壁から揚陸しようとしたこと、主張の大型ピケ船に乗り組んだ三池労組員が被申請人の資材の揚陸を止めさせようとして説得したことは認める、同申請人が主張のように投石、花火、発煙筒の打ち込み等により接岸、揚陸作業を妨害したことは否認する。

(二八)  申請人岡本和民について (1)の事実は争う。

(2)の事実中、被申請人主張の日に被申請人が運搬船で資材等を揚陸しようと計画し、同日午前一〇時頃から接岸を開始したこと、同所附近に三池労組の大型ピケ船を配置したこと、同申請人がピケ船に乗り組んでいたことは認める。その余の事実は争う。同申請人は三池労組のピケ船に乗り組み被申請人側作業員に対しスト破りの中止を求めて極力説得を行なおうと努力したが、被申請人側の消火ホースによる放水や、投石、花火の打ち込み等の激しい妨害によつて殆ど説得を行なうことができなかつたものである。

(二九)  申請人高山辰晴について (1)の事実中、昭和三五年一月二五日被申請人が三池労組に対してロツクアウトを宣言したこと、同年三月一七日新労組が結成されたこと、同月二八日新労組員千数百名が三川鉱東仮設門附近でピケ破りを行なつたこと、右に抗議して三池労組員ら多数が三川鉱構内に立ち入つたこと、構内に立ち入つた三池労組員によつて被申請人会社の諸施設が破壊されたこと、同申請人が他の三池労組員らと共に同構内に立ち入つたことは認める。田中係員が昏倒したこと、吉田係長が失神したことは不知、同申請人が数名の三池労組員らと共に主張の者に対して主張のような暴行をなしたことは否認する。

(2)の事実中、昭和三五年五月六日三川鉱事件で逮捕されていた申請人崎村敏男、同高山辰晴および井手誠が釈放されたこと、同日夕刻申請人高山辰晴が三池労組員数十名と共に新労組の集会所に使用されていた主張の場所に行つたことは認める、同申請人が主張のような乱暴、脅迫をなしたことは否認する。

(3)の事実中、昭和三五年二月下旬頃被申請人が主張の社宅事務所を一時閉鎖したこと、その後同社宅事務所が再開されたこと、三池労組員が同事務所再開に抗議して同事務所附近でデモを行なつたこと、その後同事務所が再び閉鎖されたこと、同申請人が一度だけ三池労組員数十名の先頭に立つて同事務所附近のデモを指揮したことは認めるが、田中係員、新労組員内野が精神的、肉体的疲労のため発病静養するのやむなきにいたつたことは不知。被申請人主張のデモの回数、方法は争う。同申請人が主張のような行為をなして田中係員らを吊し上げたことは否認する。

(4)の事実中、昭和三五年七月頃同申請人が万田社宅の地域消防隊副隊長であつたこと、同月中旬頃三池労組員約二〇名が被申請人所有の手曳式ガソリン消防ポンプ一台をホース鵜の口その他の備品と共に万田社宅から約五キロメートル距てた三川鉱ホツパー前広場に運び撒水に使用したこと、同申請人が当時他の三池労組員と共に右消防ポンプの運び出しに関係したこと、その頃万田社宅附近に山火事があつたことは認めるが、右消防ポンプがなかつたため被申請人会社業務の運営に支障があつたことは知らない。

(5)の事実中、昭和三五年一一月一日に中央労働委員会の斡旋により三池争議が終結し、同年一二月一日から生産が再開されるにいたつたこと、三池労組三川支部と被申請人の話し合いにより、同支部が同年一一月五日に、所属組合員の私物を収納している脱衣箱を点検することになつたこと、同日午前九時頃右私物点検が行なわれた際、三池労組と被申請人会社係員らとの間で紛争の起つたことのあつたことは認めるが、同申請人が安田係員に主張のような脅迫的言辞を浴びせ、被申請人会社業務の運営に支障を来たさせたことは否認する。

(三〇)  申請人古城将秀について (1)の事実につき、昭和三五年一一月中旬頃の午後七時三〇分頃同申請人が飲酒の上主張の浴場に赴き、入浴中の須崎正司の右顔面を一回叩いたこと、堀辰美の顔面を平手で左右一回づつ叩いたことは認めるが、右須崎が右眼附近を負傷したことは不知。同人を叩いた場所は争う。同申請人が右須崎に対し「お前は横着だ。」と言つたこと、いきなり同人の頭に湯を浴びせたことは否認する。

(2)の事実中、被申請人主張の事件が起つた際、同申請人が安田係員に脱衣場から外に出るように要求したことはあるが、同係員に対し主張のような言動をなし、主張のような暴行を加えたことはない。

(疎明省略)

被申請人訴訟代理人は「申請人らの申請を却下する。訴訟費用は申請人らの負担とする。」との裁判を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、申請人ら主張一、の事実中、被申請人が石炭の採掘販売等を業とする株式会社であること、申請人らが被申請人の従業員であつたこと、被申請人が申請人らに対し、申請人らにいずれも労働協約第一二条、三池炭鉱々員就業規則附属書第三号鉱員賞罰規則第八条に該当する行為があつたとして、それぞれ申請人ら主張の日付で解雇の意思表示をなし、同意思表示がその頃各申請人に到達したことは認めるが、申請人らが三池労組の組合員であることは不知。同二、三(申請人らの組合役員としての経歴、家族に関する事実を除く)の事実は否認する。同四(一)の事実中、被申請人がなした退職勧告者の数、久保清が暴力団の一員によつて刺殺されたことは認めるが、退職勧告者中に三池労組役員が含まれていたことは不知。被申請人が職場から組合活動家を追放し労働組合の骨抜きを策したこと、被申請人が三池労組の切り崩しを図つたこと、および同四(二)、五、の事実は争う。

二、被申請人が申請人らを解雇した事由は、次のとおりである。

(一)  申請人山田幸男について 同申請人は宮浦鉱に坑内電気工として勤務していたものであるが、昭和三五年四月一日午前一一時頃大牟田市新勝立町二丁目森山電器商会西側木橋附近において、三池労組のデモ隊に破壊された同町所在の通町社宅の被害状況を調査して帰還中の新労組所属鉱員甲斐盈郎、同大津秀明、同宮川斉、同坂口正哉に遭遇するや、同人らが衝突を避けて退避しているにもかかわらず、申請人平畑勇と共に他の約一〇〇名前後の三池労組員らに対して「いけいけ、やれやれ」と煽動した上、右新労組員四名に一斉に襲いかかり同人らを押し倒し、棒或は手拳をもつて殴りまたは足蹴りにする等の暴行を加え、よつて右甲斐、宮川に対して治療各一四日間、右大津、坂口に対して治療各七日間を要する傷害を負わせた。

(二)  申請人平畑勇について 同申請人は宮浦鉱に坑内機械工として勤務していたものであるが、

(1)  昭和三五年三月二六日午前一〇時四〇分頃三池労組員ら千数百名が、当時ロツクアウトで門扉を閉し被申請人の許可なく入場することを禁止し被申請人会社職員で監視中の三池鉱業所本所構内に、裏側通用門を破壊し或いは門扉、塀を乗り越えて乱入し、警備中の職員らに対し暴行、傷害を加える等の暴力行為をなしたが、その際、同所において暴行を受けている警備員らの救出に赴いた本所総務部総務課係員吉畑真澄に対して、三池労組員、オルグら数十名と共に、旗竿、竹棒等をもつて突き、殴り或いは引き倒して踏んだり蹴つたりする等の暴行を加え、よつて同人に治療二週間を要する傷害を負わせた。

(2)  同年四月一日、前記(一)申請人山田幸男についての記載事実が行なわれた際、三池労組員ら約一〇〇名と共に、前記新労組員甲斐盈郎、同大津秀明、同宮川斉、同坂口正哉に対し、押し倒し、棒或いは手拳をもつて殴りまたは足蹴りにする等の暴行を加え、よつて同人らに対し前記(一)記載のごとき傷害を負わせた。

(三)  申請人下田巡一について 同申請人は宮浦鉱に仕繰工として勤務していたものであるが、

(1)  昭和三五年四月九日午後九時三〇分頃大牟田市上官町ニユーヨークパチンコ店横路地において、他の四名と共に、新労組所属鉱員森竜雄に対し、同人が新労組に参加したことの故をもつて同人の顔面、左耳を殴打する等の暴行を加え、よつて同人に治療約一〇日間を要する傷害を負わせた。

(2)  同年五月二二日午前〇時三〇分頃同市宮坂町八番地所在の右森竜雄方において、就寝中の同人を同人方玄関先に虚言をもつて呼び出し他の四、五名の者と共に右森竜雄の左眼を殴りつけた上、殴る、蹴る、踏む等の暴行を加え、よつて同人に対し治療約五〇日間を要する傷害を負わせた。

(四)  申請人百田昭について 同申請人は四山鉱に乾充工として勤務していたものであるが、

(1)  昭和三五年一月二〇日午前五時一〇分頃、従来一〇昇部内常一番機械工として勤務していた川口宏および採鉱重要工事仕繰工として勤務していた中山義弘が、被申請人会社の人員整理による配置転換計画に基づきその業務指示に従つて当日既に三池鉱業所四山鉱一〇昇カツペに配役されていたところ、同申請人は四山鉱四〇〇米人車ホーム附近において、右両名の配置転換後の就労に反対し、入坑した一〇昇カツペい方(一番方)全員に対しその就業を制止し、右川口、中山に対し就労することなく昇坑するよう説得し、ついで肝付係員に対し右昇坑せしめるよう交渉して拒絶されるや、就労のため入坑していた右い方全員に対し「二人にはどうしても仕事をさせるげな、業務阻害だというなら俺は首になるならなつてもかまわないんだから、組合の指示ではないが皆が上るというなら上ろう。」等と言つて昇坑して職場を放棄することを煽動し、同午前八時一五分頃右川口、中山および山隈武士を除く右い方全員四二名に対し未だ組合からスト指令も出ていないのにかかわらず全員を昇坑させて職場を放棄せしめ、かつ自らもこれを放棄して、被申請人会社業務の運営に支障を来させしめた。

(2)  同月二三日当日一番方の繰込時間である午前五時一〇分頃平服のまま四山鉱繰込み場に赴き、同所で一〇昇カツペい方に配役指示をしていた森、肝付両係員に対し、前記同月二〇日の早昇坑についてなされた上司の報告内容および当日開催予定であつた職場常会が被申請人会社の都合で延期された理由を質問し、同係員らがその回答を拒否し、い方に入坑を求めるや、係長、鉱長との面会、交渉を要求して右い方全員に対し入坑を拒否することを煽動し、ついで右い方全員の先頭に立つて鉱長室に侵入して鉱長と押問答を続け、右い方全員の入坑を遅延せしめ、このため右い方全員三七名は同日午前五時一〇分頃から午前七時一五分頃まで入坑することなく、被申請人会社業務の運営に支障を生ぜしめた。

(3)  同年三月二八日、後記(一三)守田末一についての事実(1)記載の際、四山分院前において同所に待機していた三池労組員を含むピケ隊員と意思を通じ、四山鉱係員村上友幸、同松藤吉治を取り囲んで同人らに対しデモをかけて暴行を加え、多衆の威力を示しかつ多数共同して暴行脅迫を加え、同記載のように同人らに傷害を負わせ、同人らの柵内警備業務の遂行を不能ならしめた。

(4)  同年四月二日午後二時三〇分頃新労組員下河春雄、同古賀小一が荒尾市大島能社五三棟の一古賀小一方に同人所有の原動機付自転車を取りに立ち戻つたところ、同所に集まつてきた三池労組員、オルグら二〇名位と共に互いに意思を通じ同家裏庭において、右古賀、下河を取り囲み、両名に対し「お前どま人殺じやないか、お前を打ち殺す位易いことだ、打ち殺すぞ、少しもんでやらにやいかん。」等と申し向け、同人らの生命身体に危害を加える気勢を示して脅迫し、交々手拳や肘等で両名の背部、肩、臀部等をそれぞれ二、三〇回位突いたり押したり等した上、右下河の下腿部を数回蹴り、更に同人を右古賀方横の道路上に引つ張り出して集つてきた三池労組員、主婦会員ら約一〇〇名と共に取り囲み、右下河の両下腿部を数回蹴り、共同して右両名に暴行、脅迫を加え、右下河に対し治療三日を要する両下腿打撲擦過傷を負わせた。

(五)  申請人原口豊について 同申請人は四山鉱に乾充工として勤務していたものであるが、

(1)  昭和三五年三月二九日午後六時頃四山社宅福社九棟の三新労組員六倉広市方において、玄関の戸を蹴りまたバケツを叩きつける等してその腰板一枚を破損し、被申請人会社施設に損害をおよぼし、掛金をはずして故なく同人方住居に侵入し、更に、同人の妻和子の右手首を握り同人を玄関土間に引き摺り降して同人に暴行を加えた。

(2)  同日午後七時三〇分頃四山社宅福社九棟の一新労組員小川米光方において、玄関の戸を蹴りその硝子一枚を破損して被申請人会社施設に損害をおよぼし、ついで同日午後八時頃同所において同人の妻タキ子に対し「お前はどがん思つとるか、親爺は第二組合を作つて久保清は死んだぞ、お前が震えても泣いても同じことだ。」等と怒声を発し、手拳で同人の胸を数回突きながら同人を同家玄関から炊事場の棚附近まで突き押し、更に同所に突き倒して暴行を加え、よつて同人に対し治療約二週間を要する後頭部打撲血腫、左背部左前胸部打撲傷を与えた。

(3)  同日午後八時三〇分頃四山社宅福社一〇棟の五、二宮登方において、同人方裏木戸を掛金をかけたまま垣根からはずし、被申請人会社施設に損害をおよぼし、かつ故なく同人方六畳の間に上り込み住居に侵入した。

(4)  被申請人は、同年五月四日福岡地方裁判所において三池労組との間の同裁判所昭和三五年(ヨ)第一七七号仮処分申請事件につき大牟田市西港町二丁目七〇番地三池鉱業所貯炭槽(ホツパー)周辺の土地等の立入禁止および運転業務妨害禁止の仮処分決定を受け、同月七日同決定を公示の上同日午後六時七分頃三池鉱業所三川鉱工作副長宮崎昇、同鉱業所員および三池港務所施設課長代理安井辰男ら同港務所員計一六名が右貯炭槽上部施設の点検整備を行ない、更に同下部施設の点検整備および運転業務遂行のため、同ホツパー南側階段を降りて同下部施設に赴こうとしたところ、同申請人は三池労組員ら約三〇〇名と共謀の上、同階段下に押し寄せ、内数十名はホツパー下部施設のフイダー、ベルト等の座張り上に立ち入り、右被申請人側作業員に対し多数の威力を示し交々「降りてこい、打ち殺すぞ。」等激しく怒号し、或いは黄色発煙筒を焚く等約四〇分間余にわたり右被申請人側作業員の身体に対し如何なる暴行をも加えかねまじき気勢を示し、よつて同日午後六時五〇分頃前記被申請人側作業員として右ホツパー下部施設の点検および運転業務の遂行を断念させ、威力を用い被申請人の業務を妨害した。

(六)  申請人永瀬茂について 同申請人は四山鉱に坑内運搬工として勤務していたものであるが、昭和三五年三月二八日午後一時過頃被申請人会社職員伴茂雄および新労組員梅本強ら二二名(内二名は電話局員)は被申請人会社より四山鉱事務所の電話修理を命ぜられ中型乗用車および小型バスに分乗して同事務所に赴いたが、同鉱正門附近にたむろする三池労組のピケ隊の動静が不穏なため一先ずこれを回避すべく進路を変えて同鉱南門附近にさしかかつた際、同申請人、申請人立山寿幸、同白鳥明、同辻与曾吉、同星下清、同浜崎政徳らは同所でピケを張つていた三池労組員、オルグら約一〇〇名と共に、右中型乗用車を所携の棍棒、竹棒等で乱打し、右小型バスの窓に莚をかぶせて所携の鉄棒、棍棒等でその窓硝子等を全部叩き壊したばかりでなく、これら自動車に分乗していた新労組員らに対して交々「裏切者出てこい、打ち殺すぞ。」等と怒嗚りながら小型バスの破壊した窓から鉄棒等で突きまくり、或いはドアをこじ開けて中にいた者を誰彼の区別なく強打し、更に「ひつくり返せ。」と大勢で小型バスに手を掛け、激しく左右に振り動かして乗車中の新労組員がいたたまれず下車するのを待ち構えてこれを吊し上げ、その間前記梅本らを棍棒で殴打し、また中型乗用車に乗つていた右伴らを暴行、脅迫によつて下車させ、鉄棒、棍棒等で滅多打に打ちすえる等、多数で共同し多数の威力をもつて右伴ら二〇名に対し暴行、脅迫を加え、右伴外一一名に対し全治五日ないし二ケ月間を要する傷害を負わせ、当日の右電話修理業務を不可能ならしめたが、その際、申請人永瀬茂は、中型乗用車からやむなく出ようとする右伴の背後から所携の鉄棒(長さ一米位のもの)で同人の後頭部右側に一撃を加え、その後多数の三池労組員らの暴行によつて半ば意識を喪い附近の社宅塀によりかかつていた右伴の顔を足で蹴り上げ、更に小型バスの破壊した窓から鉄棒を突込んで車中で難を避けようと体をかがめていた新労組員原正人の横腹を、同じく新労組員古賀走懐暉の右脇下、背中を、株式会社三井三池製作所従業員横山正美の腰部をそれぞれ突く暴行をなし、よつて右伴に対して傷害を負わせた。

(七)  申請人白鳥明について 同申請人は四山鉱に仕繰工として勤務していたものであるが、

(1)  (六)申請人永瀬茂についての事実記載の際、小型バスの破壊した窓から所携の竹棒を突込み、車中で体をかがめていた新労組員原正人の左腕、左脇を同紫牟田徳行の右顔面耳附近を各突いて暴行を加え、よつて右紫牟田に対して傷害を負わせた。

(2)  昭和三五年四月二四日午後六時三〇分頃宮内社宅浴場前附近において申請人星下喜楽と共に三池労組員ら約二〇名の先頭に立ち、偶々同浴場に入浴に来た新労組員渡辺正明の妻春枝に対し、その前面に立ち塞がつて同浴場への入場を妨害すると共に多衆の威力を示して同人を脅迫した。

(3)  同月三〇日午前六時三〇分頃申請人星下喜楽と共に三池労組員ら約三〇名の先頭に立ち右宮内社宅一四棟の右渡辺正明方を襲い、同人不在中の同家玄関硝子戸を乱打し「出てこい、打ち殺すぞ。」等と暴言を浴びせて留守居の渡辺正明の妻春枝に対し多衆の威力を示して同人を脅迫した。その際デモ隊によつて玄関の硝子が一枚破損された。

(4)  同年八月七日午後九時頃、申請人星下喜楽と共謀し、当時午後九時以降は社宅警備のため駐屯していた警官隊の入浴にあてていた宮内社宅浴場男湯浴槽の栓を、故なく抜いて湯を流出せしめ、被申請人会社施設の利用を不可能ならしめた。

(八)  申請人辻与曾吉について 同申請人は四山鉱に坑内運搬工として勤務していたものであるが、

(1)  (六)申請人永瀬茂についての事実記載の際、小型バスの破壊した窓から所携の棒を突つ込んで車中で体をかがめていた新労組員竹下勇の腰附近や同古賀走懐暉の右背部をそれぞれ突き、小型バスのドアがこじ開けられた際同車内のドア近くにいた同原正人を棒で突き、同人らに対し暴行をなした。

(2)  昭和三五年三月三〇日午前七時頃主人不在中の大平社宅坂本吉久方にバツトを持つて押しかけ、バツトで同人方家屋の硝子戸の桟や腰板を叩き、或いはこれを振り廻し、右坂本吉久の妻八重子および同所にいた上野澄子に対し大声で「皆殺しにする、出てこい。」等と怒鳴りつけて、右両名を脅迫した。

(3)  同年四月二六日午後七時四〇分頃申請人星下清ら数名と共に大平社宅飯田孝則方において同人およびその妻和子に対し「裏切者出てこい、打ち殺すぞ。」等と怒鳴りつけ、右両名を脅迫した。

(九)  申請人星下清について 同申請人は四山鉱に坑内運搬工として勤務していたものであるが、

(1)  (六)申請人永瀬茂についての事実記載の際、小型バスの破壊した窓から所携の棒を突つ込んで、車中で体をかがめていた新労組員古賀走懐暉の背部、肩等を突き、また新労組員竹下勇に対し右小型バスから降りることを余儀なくさせ、更に同人の腰を背後から小突き、暴行をなした。

(2)  昭和三五年三月三〇日午前七時過頃三池労組員ら約五〇名の先頭に立ち、主人不在中の大平社宅賀喜良夫方を襲い「賀喜出てこい、開けろ、裏切者出てこい。」等と叫びながら気勢をあげ、同家四畳半の部屋の窓硝子を雨戸越しに棒状のもので突き破り、やむなく玄関に応待に出た賀喜キヨ子に対し「親爺を出せ。」と執拗に迫り、同家にいた牛島フタエ、中尾レイ子とその子供らに対しても「お早うデモ、今日はデモ、さよならデモをかけて毎日寝られんようにして社宅からお前達を追い出す。」等と暴言を浴びせて多衆の威力を示して右賀喜キヨ子らを脅迫した。

(3)  同年四月一一日午後八時二〇分頃二、三名の三池労組員、オルグらと共に主人不在中の右大平社宅の坂本吉久方に押しかけ、同人の妻八重子に対し「あんた達の命の保証はできん、警察がおろうがおるまいが自分達はやるときはやる、裁判でんどげんなか。」等と暴言をはいて同人を脅迫した。

(4)  (八)辻与曾吉についての事実(3)記載のとおり昭和三五年四月二六日申請人辻与曾吉らと共に飯田孝則および同人の妻和子を脅迫し、更に同日午後八時三〇分頃同人らに対し主婦会員、三池労組員ら約五〇名と共に右飯田孝則方において「裏切者出てこい、打ち殺すぞ。」等と暴言を浴びせて右飯田孝則とその家族を脅迫した。

(5)  右同日午後八時頃大平社宅浴場で、当日欠勤した浴場番の依頼をうけ、番台に坐つていた新労組員近藤幸市の母キクノに対し「なし第二組合のくせに風呂番するか、お前どんば一人二人殺したつちや俺達ははまつとるけん何ともなか、お前家にデモをかけるぞ。」等と暴言を浴びせて同人を脅迫した。

(6)  同月二七日午後一時頃三池労組員ら四、五名と共に主人不在中の大平社宅松本行芳方に押しかけ、同人の妻静枝に対し「三池労組と主婦会の鉢巻を返せ、五、〇〇〇円の資金カンパを直ぐ返せ。」と執拗に繰り返し、「裏切者打ち殺すぞ、自分で地域闘争本部に持つてきて頭を下げて謝れ。」等と申し向け、同人を脅迫した。

(7)  同月二九日午後八時三〇分頃三池労組員ら約五〇名の先頭に立ち、主人不在中の大平社宅の坂本克巳方に押しかけ、「裏切者出てこい、打ち殺すぞ。」等と怒鳴り、玄関戸、雨戸、壁等を乱打し、多衆の威力を示して留守居の右坂本の妻道代を脅迫した。右集団の暴行により右玄関硝子戸の腰板が破られ、同戸は変形して開閉不可能となり、玄関横の中壁の壁土が一部崩落した。

(8)  同月三〇日午前九時頃主人不在中の前記松本行芳方に押しかけ、同人の妻静枝を前記(6)記載同様の方法で脅迫した。

(9)  同日午後九時頃数名のオルグ、三池労組員らを附近に待機させて右坂本克巳方に押しかけ、同家玄関戸を乱打しながら約一〇分間にわたり「開けろ、開けて出てこい、社宅を出て行け。」等と怒鳴り、右坂本克巳を脅迫し、また同日午後九時四五分頃同人方玄関附近で右同様の方法で、同人を脅迫した。

(10)  同年五月二日午後六時頃右松本行芳方に押しかけ、前記(6)記載同様の方法で、同人を脅迫した。

(11)  同月六日午後九時四五分頃三池労組員ら約五〇名の先頭に立ち、主人不在中の大平社宅丸山新方に押しかけ、同家玄関戸、壁板を叩きながら大声で「親爺がおるだろうが出てこい、出らんなら戸を蹴破つて入るぞ。」等と怒鳴り、多衆の威力を示して同人の妻みよ子とその子供を脅迫した。この集団によつて丸山宅の格子戸が蹴破られた。

(12)  同年八月七日頃、先に空戸となつたため被申請人が畳、床板を上げ、入口、窓等を釘付けにし立入禁止の表示をしていた大平社宅二七棟に、被申請人に無断で右釘付けを取りはずし同社宅に侵入し、これを擅に使用した。

(一〇)  申請人浜崎政徳について 同申請人は四山鉱に坑内機械工として勤務していたものであるが、(六)申請人永瀬茂についての事実記載の際、三池労組員らの暴行を受けて倒れた株式会社三井三池製作所従業員平島政幸の傍に行こうとした被申請人会社職員伴茂雄の腕と胸元を掴んで暴力でこれを阻止し、このため同人はその附近にいた約三〇名の三池労組員らから棍棒等で滅多打ちにされて意識を喪つた。また三池労組員らによつて右小型バスから降ろされ南門前に整列させられた新労組員梅本強の頭部を所携の棒で強打し、棒を地面に叩きつけて威迫した。(叩きつけられた棒ははね返つて新労組員古賀走懐暉の左手首に当つた。)

(一一)  申請人立山寿幸について 同申請人は四山鉱に乾充工として在籍していたものであるが、(六)申請人永瀬茂についての事実記載の際、南門附近にいた三池労組員を指導しまた自らも率先して暴行を働いたが、なかんづく中型乗用者が南門附近にさしかかつた際に同車の前面に立ち塞がつて停止させた後、これに乗つていた電話局員二名をピケ隊員数名と共同して引き摺り降し、附近の三池労組員らに対し同車に乗車している前記伴茂雄、平島政幸、および株式会社三井三池製作所従業員浮島巌を引き摺り降して殴打せよと命じ、右平島が容易に下車しないとみるや同人に「下車しなければ小型バスに放火して焼き殺す。」旨申し向けて脅迫し、やむなく同人が下車するや、他の三池労組員らと交々所携の竹棒で右平島の頭部、左手等を殴打して傷害を負わせ、また小型バスの破壊した窓から竹棒を突つ込み、車中の新労組員竹下勇の腰部を突き、暴行をなした。

(一二)  申請人星下喜楽について 同申請人は四山鉱に坑内電気工として勤務していたものであるが、

(1)  昭和三五年四月四日午後一〇時三〇分頃宮内社宅三五棟の二川後田維子方において、雨戸を叩き、同人の夫新労組員川後田大助は不在で子供の和幸(当時七才)と就寝していた右大助の妻維子を起し「お前に聞きたいことがある。」と言つて雨戸を開かせて上り込み、同人に対し「お前は圧力がかかつていることについてどう思うか、チヨーリンボのごつ嘘ばいうな。」等と言葉荒く詰問し、更に「久保清を殺したのはお前達ぞ。」と怒声を発し、傍にあつた折りたたみ用物指を握り炬燵櫓を抱え上げて打ち下ろし、同時に「打ち殺すぞ。」と怒鳴りつけ、右物指を突き出し、腰を上げて同人の身体に危害を加うべき威勢を示して脅迫し、その後同家玄関戸の腰板一枚を足蹴にして蹴破りこれを破損せしめ、被申請人会社施設に損害をおよぼした。

(2)  同月二四日午後六時三〇分頃宮内社宅浴場前附近において、申請人白鳥明と共に三池労組員ら約二〇名の先頭に立ち、偶偶同浴場に入浴に来た新労組員渡辺正明の妻春枝に対しその前面に立ち塞がつて同浴場への入浴を妨害し、かつ多衆の威力を示して同人を脅迫した。

(3)  同月三〇日午前六時三〇分頃申請人白鳥明と共に三池労組員ら約三〇名の先頭に立ち、右宮内社宅一四棟の右渡辺正明方を襲い、同人不在中の同家玄関硝子戸を乱打し「出てこい、打ち殺すぞ。」等と暴言を浴びせて留守居の同人の妻春枝に対し多衆の威力を示して同人を脅迫した。その際デモ隊によつて玄関の硝子が一枚破損された。

(4)  同年六月一二日午後二時頃社宅事務所水本正人係員が、川端人事係長の命令により、オルグが引き揚げ空戸となつた宮内社宅七五棟の二を釘付けするため四山鉱員牛島保、同藤田金次郎を伴い同所に赴いたところ、同申請人は三池労組員ら約四〇名、主婦会員約六〇名の先頭に立つて駈けつけ、同人らと共謀の上、右水本ら三名に対しデモをかけ、ついで同人らを囲んで同人らを吊し上げ、多衆の威力を示して右三名の生命身体に危害を加えかねまじい態度で脅迫し、右三名をして右社宅の釘付けを断念せしめ、その業務遂行を不能ならしめた。

(5)  同年八月二日午後九時頃から同一〇時半頃までの間にわたり三池労組員松本栄と共謀の上、宮内社宅入口西村店において、新労組本部青年行動隊員松原昭雄に対し、同申請人において「俺が星下ぞ。」、松本において「こら横着かごたる、太かけん打ちごたえがあるごたつぞ。」等と交互に暴言をはいて右松原を脅迫し、同申請人はビール瓶で右松原の右頭部を強打し、松本は手拳で右松原の頬を数回殴打し、同申請人は松本と意識の薄れた右松原を外に引き摺り出し、犬塚八百屋前路上まで連行し、それぞれ松原の襟首を握つて引き倒し同人の背、頭部、目等を所かまわず足蹴にし、手拳で殴打し、更に三池労組員二名も加わり暴行を加え、右松原に対し治療一〇日を要する全身打撲擦過傷を負わせた。

(6)  同月七日午後九時頃、申請人白鳥明と共謀の上、当時午後九時以降は社宅警備のため駐屯していた警官隊の入浴にあてることにしていた宮内社宅浴場男湯の浴槽の栓を、故なく抜いて湯を流出せしめ、被申請人会社施設の利用を不可能ならしめた。

(7)  同月二二日午後六時頃宮内社宅三五棟の二新労組員川後田大助留守宅において、同人の妻維子が窓際でミシンを使用していたところに三池労組員松本栄と共に同所を通りかかり、突然その窓際に立ち寄り、同申請人から以前脅迫されたため内心同申請人を恐れている川後田維子に対し、無言のまま赤布を巻いた棒を窓の敷居の上にあげ、両手で握り、同人の方に向け出したり入れたりして威力を示して同人の生命身体に害を加えかねまじい態度を示して同人を脅迫した。

(8)  同月二四日午後八時三〇分頃宮内社宅八三棟の三、蔵元茂富方において、居合せた新労組員田中又男に対し同年三月三〇日のデモに対する告訴について口論の末、怒声を発し、肩をいからし、同人の方に身体を乗り出し、同申請人の粗暴な行動を知つている右田中に対し、同人の生命身体に害を加えかねまじい態度で威力を示して脅迫した。

(一三)  申請人守田末一について 同申請人は四山鉱に坑内運搬工として勤務していたものであるが、

(1)  昭和三五年三月二八日同鉱柵内警備についていた同鉱係員村上友幸、同松藤吉治が、これより先三池労組員らピケ隊の暴行によつて負傷した四山鉱係員二名を四山分院から天領病院に輸送した帰途、同日午前四時二〇分から同五時四〇分頃までの間にわたり、三池労組員を含むピケ隊二、三〇名に取り囲まれ四山分院前から正門、南門に順次連行され、その間同ピケ隊員および各所在のピケ隊員から殴打、足蹴による等の暴行をうけ、右村上は左腰薦部、左下腿部、脛部、右首、後頭部に全治四〇日を要する打撲傷を、右松藤は右下腿部、左臀部打撲傷、内出血等全治一〇日間を要する傷害を受けたが、その際、同申請人は右ピケ隊員と意思を通じ、右村上、松藤に対し殴り、蹴り、突く等をするデモの方法による暴行を加え、右村上の襟首、腰部を掴み四山分院前から正門前まで無理に連行し、途中腰部、足部、背部等を各数回突き、蹴り、またコンクリート塀に首筋、胴を打ちつけ、右肩、右足をこれに強打せしめる等の暴行を加え、もつて多衆の威力を示し数名共同して暴行、脅迫をなして前記各傷害を負わせ、かつ右両名の柵内警備業務の遂行を不可能ならしめた。

(2)  同年四月一七日四山社宅福社六四棟の三において、居住者が転居した同社宅を点検の上釘付けしようとした四山人事事務所社宅営繕担当中尾文雄係員に対し「何も見に来んでも地域で管理している、オルグの部屋に借りるから了解してくれ、あなたが貸さんでもこちらが借りる、何でもよい、オルグを入れるぞ。」等強く言い張り、右中尾の制止をききいれず、同日夕刻オルグを入居せしめ、その後引続き宿泊の用に供してその間右社宅を無断で使用した。

(一四)  申請人甲斐弘について 同申請人は四山鉱に乾充工として勤務していたものであるが、昭和三五年六月三日新労組員長松貞記、同吉田敏春は三池労組員、主婦会員らに山吹町所在の右長松、吉田方から同町地域闘争本部に各連行され午後四時頃から同九時四〇分頃までの間、同所において三池労組員、主婦会員ら約一〇〇名に取り囲まれ、同人らから大声で種々怒鳴りつけられて脅迫されたが、その際、同申請人は右三池労組員、主婦会員らと意思を通じ、右長松、吉田に対し「おつどんな命をはめとつとぞ、打ち殺しても構わんぞ。」と怒声を発し、右長松に対し右手を振り上げて殴ろうとする気勢を示し、もつて多衆の威力を示しかつ多数共同して右両名の生命身体に害を加えかねまじい態度で右両名を脅迫した。

(一五)  申請人船盛順二について 同申請人は四山鉱に乾充工として勤務していたものであるが、前記(一四)甲斐弘についての事実記載のように長松、吉田が脅迫を加えられた際、右三池労組員、主婦会員と意思を通じ、右長松、吉田に対し「ほんなこてこん畜生どまうとうかね。」と怒鳴りつけ、持つていた野球のバツトで床をごつごつ叩いて殴りつけまじい態度を示し、もつて多衆の威力を示しかつ多数共同して同人らの生命身体に害を加えかねまじい態度で右両名を脅迫した。

(一六)  申請人浜田義春について 同申請人は四山鉱に掘進工として勤務していたものであるが、前記(一四)申請人甲斐弘についての事実記載のように長松、吉田が脅迫を加えられた際、右三池労組員、主婦会員らと意思を通じ、右長松、吉田に対し「こやつどま判らんから外に出して揉め、立たせ、コンクリートの石ば持つて来てその上に座らせ。」と怒鳴りつけ、もつて多数の威力を示し、かつ多数共同して同人らの生命身体に害を加えかねまじい態度で右両名を脅迫した。

(一七)  申請人内山孝之助について 同申請人は三川鉱に採炭工として勤務していたものであるが、昭和三五年六月一五日午後五時頃、かねて疎開中の新労組員横川茂春が娘と共に大牟田市新港町六番地三川鉱新港社宅二三棟の自宅に帰宅したところ、同事実を告げるマイク放送で集つた三池労組員、主婦会員、オルグら約一〇〇名を指揮して右横川方裏路地附近に押しかけ、申請人西脇中川、同西村一人外数名と共に右横川に対し「外に出ろ、今日はただでは帰さんぞ、立て、立たんなら引き摺り出すぞ。」等と怒鳴つて屋外に出るよう要求し、同人が恐怖の余り坐り込んでいるや数名の者と同屋内に乱入し、右横川を口々に罵りながら押す等して屋外に連れ出し、同人方前路上において大勢の者と共に同人をいわゆる洗濯デモにかけ、同人の身体を小突き廻して押し倒し、仰向けに倒れた同人を蹴つたり踏みつけたり、青竹で押えつけるの暴行をなし、同人に加療約二〇日間を要する左側胸腹部、背腰部挫傷の傷害を負わせた。

(一八)  申請人西脇中川について 同申請人は三川鉱に採炭工として勤務していたものであるが、前記(一七)申請人内山孝之助についての事実記載の際、同申請人、申請人西村一人らと共に右横川宅四畳半の間や炊事場に押し入り、「外に出ろ。」等と怒鳴りながら右横川を押す等して同人を屋外に連れ出し、同人をして洗濯デモをうけるにいたらしめた。

(一九)  申請人西村一人について 同申請人は三川鉱採炭工として勤務していたものであるが、

(1)  昭和三五年四月一七日午後九時一〇分頃、かねて疎開中の新労組員米村実の妻初女がその妹と共に三川鉱新港社宅一五棟の自宅に家財を取りに帰り、三池労組員、主婦会員らに脅迫され警官三名に伴われて帰途、三川鉱新港社宅附近金比羅神社前路上にさしかかつた際、これを発見した同申請人は申請人内山孝之助外二、三〇名の三池労組員らと共に右初女らを取り囲み、「何しにきたか、第二組合の者は絶対に社宅に入れんから皆に伝えておけ、こんどきてみろ、ただでは帰さんぞ。」等と激しく詰め寄る等して右初女らを脅迫した。

(2)  前記(一七)内山孝之助についての事実記載の際、同申請人、申請人西脇中川らと共に前記横川宅四畳半の間や炊事場に押し入り、横川に対し「外に出ろ。」等と怒鳴りながら右横川を押す等して同人を屋外に連れ出し、同人をして洗濯デモを受けるにいたらしめた。

(二〇)  申請人坂口操について 同申請人は三川鉱に坑内機械工として勤務していたものであるが、

(1)  昭和三五年三月二八日午前八時頃三池労組員数十名の先頭に立つて作業所閉鎖中の荒尾市原万田二五〇番地三川鉱万田竪坑構内に故なく侵入し、不法に捲揚機室に立ち入り、偶々同室内にいた保安係員本田好道、新労組員徳山照彦を強要して、西川敏昭、竹本肥種および三池労組員ら数十名が同坑係長久保雅登、同坑主席係員上野正見に対して、前日坑内機械工緒方義房が三池労組を脱退して新労組に加入したのは同係長、主席がいわゆる肩たたきをしたからだとして同係長、主席を吊し上げている同坑正門前道路に拉致して右本田、徳山を威迫し、また同係長らがようやく吊し上げから解放されて同日午前九時頃同坑繰込み場二階事務室に戻るや、その後を追つて同事務室に立ち入り、同日午後三時頃まで右西川、竹本ら三池労組員十数名と共に、上野主席らの再三の退去要求を無視して同室内にとどまり、その間交々久保係長その他の係員を執拗に難詰する等し、もつて業務の運営に支障を来たさせた。

(2)  同年四月二三日午後四時四〇分頃、申請人と旧知の間柄である新労組員福島諭貴春が偶々荒尾市原万田一五二番地万田社宅通町一八棟の同申請人方に立ち寄つたところ、同社宅前路上においてバイクにまたがつたままの右福島に対し「お前はこの前妙なこつば言つたろうが。」と呼びかけるなり矢庭に同人のネクタイを左手で掴み、右手拳で同人の顔面を数回殴打し、更に逃れようとする同人を殴打し、または下駄ばきのまま足蹴りにする等の暴行を加え、同人に対し加療約二週間を要する両下腿打撲傷の傷害を負わせた。

(二一)  申請人長山重治について 同申請人は三川鉱に採炭工として勤務していたものであるが、昭和三五年九月一八日夕刻頃荒尾市原万田一五二番地万田社宅通町で三池労組員らと新労組員の間に紛争を生じ双方組合員を動員して相対峠していたが、午後九時頃ようやく解散しそれぞれ帰途についたが、午後九時一〇分頃申請人ら三池労組員約六〇名は同市倉懸西区通称倉懸商店街附近において先行していた新労組員約一〇〇名に対し後方から投石し、棍棒を振つて襲いかかる等の暴行を加えたが、その際、同申請人は所携のツルハシの柄様の棒をもつて新労組員松永信男の頭部、下腿部を殴打し、同人に対し加療約一四日を要する右下腿挫傷の傷害を負わせた。

(二二)  申請人山中照司について 同申請人は本所水道課に機械工として勤務していたものであるが、昭和三五年三月二七日午後九時過頃当時ロツクアウト中で三池労組員の許可なき出入を厳禁していた大牟田市青葉町所在の水道課通用門内に、三池労組員ら数名と共に、同課給水係長長田猛の制止を排除して強いて入門した上、同係長に対して殴る蹴るの暴行を加え、同人に対し加療五日を要する傷害を負わせた。

(二三)  申請人荒岡勇について 同申請人は三川鉱に仕繰工として勤務していたものであるが、被申請人会社と三池労組はかねてから被申請人会社の指名解雇を含む企業合理化案の実施をめぐつて争議状態にあり、昭和三五年一月二五日被申請人が三池労組に対してロツクアウトを行なうや、同労組も同日から無期限ストを実施して闘争を続けていたが、同年三月一七日新労組が結成され、同月二四日頃被申請人、新労組間に争議終結その他の事項を内容とする協定を締結し、これに基づき新労組員による就労計画を策定し、同月二八日一番方から生産再開をはかる運びとなり、三川鉱においては同日午前六時半過頃新労組員約四〇〇名が約一、〇〇〇名の新労組員らに擁護され三池労組員らのピケラインを突破して三川鉱東門脇コンクリート柵を乗り越えて同構内に入構し、繰込み場附近に集結したところ、三池労組員ら多数が突如として手に手に棍棒、鉄棒等をひつさげ、窓、扉等を破壊して三川鉱構内、繰込場、鉱長室等に乱入し、無抵抗の職員、新労組員らを滅多打ちにしたり、被申請人会社の建物、諸施設等を手当り次第破壊したりして被申請人会社業務の運営にも著しい支障を来たさせたが、その際同申請人は暴徒の一員としてこれに参加し、数十名の三池労組員らと共に窓、扉等を破壊して右繰込場内に侵入し、同所において新労組員高尾行雄を所携の棍棒様のもので滅多打ちし、同人に傷害を負わせた。

(二四)  申請人崎村敏男について 同申請人は三川鉱に坑外運搬工として勤務していたものであるが、

(1)  (二三)申請人荒岡勇についての昭和三五年三月二八日の事実記載の際、暴徒の一員としてこれに参加し、多数の三池労組員らと共に棍棒様のものを携え、繰込場東側窓その他の被申請人会社施設を破壊した外、多数の者の先頭に立つて右繰込場内に乱入して乱暴をなす等し、もつて被申請人会社業務の運営に著しい支障を来たさせた。

(2)  右(1)の事実につき被疑者として逮捕、勾留されていたが、昭和三五年五月六日釈放されるや、同様逮捕勾留され同日釈放された申請人高山辰晴、井手誠と共に、右逮捕は新労組員らの策謀によるものと盲断し、これにつき新労組に挨拶すると称して同日午後六時頃右二名と共に約五〇名の三池労組員らの先頭に立ち、万田社宅山下町八棟にある新労組万田土手町集会所に押しかけ被申請人会社施設である同集会所の窓格子を損壊し、横壁、外柵、窓格子を押す、叩く、蹴る等の乱暴をなし、同集会所内にいた新労組員らに対し「出て来い、打ち殺すぞ。」等と怒鳴つて同人らを脅迫した。

(3)  被申請人は同年二月二六日以降万田社宅事務所を一時閉鎖していたが、同年五月三一日から再開することとなり、人事係員田中美稔外三名を右社宅事務所の業務につかせたところ、三池労組員ら多数はこれを妨害しようと図り、同日から同年六月二日までの間前後七回にわたり連日連夜大挙して右事務所に押しかけ、右田中係員、新労組員内野夘次雄外二名の右事務所要員に怒号罵言を浴びせまたはこれを脅迫する等して激しく吊し上げ、その間同人らの執務を殆ど不可能にし、これがため被申請人会社をして右事務所再開を一時断念するのやむなきにいたらしめ、被申請人会社業務の運営に著しい支障を来たさしめたばかりでなく、右田中および内野をして右吊し上げによる精神的肉体的疲労のため発病静養するのやむなきにいたらしめたが、その間同申請人は右三池労組員らの行為に積極的に加担して右五月三一日および六月二日の二回にわたり三池労組員らと共に右事務所に押しかけて右田中係員らを吊し上げた。

(4)  昭和三六年九月二三日午後七時半頃万田社宅内鉱友クラブ横において、同僚四人と共に、格別の理由もなく、帰宅中の三川鉱小川義人係員を引き留めて難癖をつけ、同係員が逃れ去ろうとするやその後を追つてこれを捉え、同人の顔面を手拳で打つたり、更には突く、蹴る等の暴行を加え、よつて同人に加療約五日間を要する顔面および前胸部打撲並びに左眼瞼皮下出血の傷害を負わせた。

(二五)  申請人都甲末人について 同申請人は三川鉱に坑内運搬工として勤務していたものであるが、(二三)申請人荒岡勇についての昭和三五年三月二八日の事実記載の際、右暴徒の一員としてこれに参加し、多数の三池労組員らと共に棍棒様のものを携えて繰込場に侵入し、同所において所携の棍棒様のものを振つて新労組員奈良崎伝蔵を滅多打ちし、同人に傷害を負わせた。

(二六)  申請人岩下静昌について 同申請人は宮浦坑に採炭工として勤務していたものであるが、

(1)  昭和三五年三月二七日午後一一時五〇分から翌二八日正午頃までの間三池労組員らのピケ隊約四五〇名は蓮尾信次郎の指揮のもとに、当時ロツクアウト中で門扉を閉め被申請人会社の許可なく立ち入ることを禁止しその旨を公示していた宮浦鉱南新開竪坑に、柵を破壊し、或は警備中の守衛から鍵を強奪して小門を開放したりして侵入し、同鉱の通気排水等を司る同竪坑の運転並びに警備業務に従事していた被申請人会社保安監督員中本繁樹を吊し上げ、棒切れ、ワイヤーロープ等で同人の全身を殴打し、同竪坑事務所建物等の外壁を剥がし取り、被申請人会社所有の油、布切れを勝手に持ち出して構内諸所において焚火をし、事務所の窓硝子、腰板等を棍棒で叩き割つてその割目より室内の職員に鳶口を投げつけ、冷水を浴びせかけ、或いは「お前達はここでおしまいだ、生命はなかぞ、最後までやつつくつぞ。」等と罵つたりして暴行、脅迫等の限りをつくしたが、同申請人はこれら暴行、脅迫等の実行に率先して加わつた。

(2)  被申請人会社三池鉱業所各鉱は昭和三五年三月二八日以降三池労組の厳重なピケのため外部との正常な交通は全く断たれてしまい、坑内の保安を維持するため必要最少限の人員資材を補給することさえ不可能となつたので、被申請人は緊急やむをえない非常手段として坑内保安上最も必要な坑木類約六、〇〇〇本を宮浦坑南新開竪坑から坑内に搬入し坑道を通じて各鉱に配分すべく、同年五月一四日午前一〇時頃同坑木類を積載した運搬船三隻が同坑西岸壁に接岸し揚陸作業を開始した際、同申請人は、三池労組員ら数十名と共に、小型ピケ船に乗り組み、再三反覆して右作業中の運搬船三隻に至近距離まで肉迫し、同船上或いは陸上の右作業員らを目がけて花火を水平発射し、或いは猛烈に薪、石等を投げつける等して約二時間にわたり右作業を妨害し、かつ同作業員中に負傷者を生ぜしめた。更に同日正午過頃他の乗組員と共に右荷揚げ作業の護衛にあたつた会社側小型船二隻が大牟田川上流の船着場に向つて進行中であるのを追跡し、これを脅迫して拿捕し、同船乗組の被申請人会社職員および新労組員ら四名を強いて下船せしめて三池労組本部に拉致した。

(3)  前記(2)冒頭記載の事情のため、被申請人は各鉱に籠城して作業中の被申請人会社職員、新労組所属の鉱員らの交替を船舶により南新開竪坑西岸壁において行なおうとし、同年六月二九日午前一一時四〇分頃被申請人は新たな入構者約二七〇名を上陸させ交替による畧同数の出構者を乗船させるため運輸丸、大島丸の二隻を右岸壁に接岸せしめようとしたところ、三池労組は陸上に約一、四〇〇名のピケ隊、海上に大小約一〇隻のピケ船を配置し右交替を妨害したが、その際、同申請人は三池労組員ら数名と共に小型ピケ船に乗り組み、陸上にある三池労組員らを大型ピケ船に輸送したり、被申請人側輸送船や陸上作業員に対して猛烈に石を投げつけ或いは花火を水平に打ち込む等激しく右交替業務を妨害した。

(4)  前記(2)冒頭記載の事情のため、被申請人は同年七月七日坑木類、フライアツシユ、セメント等坑内保安上必要な資材を大黒丸外三隻の運搬船に分載し、大島丸外四隻の護衛船を配して南新開竪坑西岸壁より揚陸しようとして同日午前六時一〇分頃右岸壁に接岸しようとした。このときに三池労組は既に陸上にはピケ隊約五五〇名、海上には三池労組組合長宮川睦男、炭労副委員長野口一馬らの乗り組んだ指揮船第二日吉丸以下一五隻の大型ピケ船並びに数隻の小型ピケ船を配置し、いよいよ接岸作業が開始されるや大型ピケ船相互にロープを張り渡したり、右運搬船と岸壁との間に大型ピケ船が割り込んだりして接岸を阻み、更にピケ船を運搬船に接舷させて乗り移り、運搬船乗組員に対して棍棒で殴りつけ、竹槍で突きかかる等の暴行をなすと共に運搬船にロープをかけて沖合或いは大牟田川の方に曳航して接岸を不可能ならしめ、その間ピケ船からは激しく運搬船に投石や花火、発煙筒を打ち込む等の暴行が続けられたため、被申請人側の九〇名以上に重軽傷を負わせ、このため被申請人は同日午前八時一五分頃にいたり運搬船四隻中三隻の荷揚げを断念するのやむなきにいたつたが、この際、同申請人は同労組南新開常駐ピケ隊の責任者として、前記(3)の場合と同様、小型ピケ船に乗り組み、陸上より大型ピケ船へのピケ隊員輸送、右運搬船等に対する投石、花火の打ち込み等激しく右荷揚げ作業を妨害した。

(二七)  申請人小田業広について 同申請人は宮浦鉱に掘進工として勤務していたものであるが、

(1)  (二六)申請人岩下静昌に関する(2)冒頭記載の事情のため、被申請人は昭和三五年五月二三日坑内保安並びに作業に必要な坑木類、資材等を福徳丸外三隻に分載して右南新開竪坑西岸壁より揚陸しようとし、運輸丸外三隻の護衛船をもつて警戒しながら、同日午前六時三〇分頃一斉に接岸し揚陸作業を開始したところ、これに対し三池労組は同坑北側柵外より花火を打ち込んだり小型ピケ船三隻をもつて運搬船に接近し、投石、花火等により右作業を妨害したが、その際申請人小田業広は小型ピケ船に乗り組んで右妨害行為に参加し、更に同日午前六時四〇分頃三池労組員ら約一〇名と共に揚陸作業中の右福徳丸に乗り移り、同船の乗組員らに対し竹槍を突きつけ或いは振り廻したり等してその作業を中断させ、更に同船と岸壁との間にわたした道板を除去しようと試みる等揚陸作業を妨害した。

(2)  (二八)申請人岡本和民についての事実(2)記載の際、大型ピケ船勢福丸に乗り組み、被申請人側作業員に対し投石、花火、発煙筒の打ち込み等により被申請人側運搬船の接岸、揚陸作業を妨害した上、更に右勢福丸をもつて運搬船清徳丸を強いて岸壁より引き離して沖合に曳航し、よつて同船の資材揚陸作業を全く不可能ならしめた。

(二八)  申請人岡本和民について 同申請人は宮浦鉱の採炭工として在籍していたものであるが、

(1)  昭和三五年三月二七日午後九時三五分頃、当時ロツクアウト中で門扉を閉じていた宮浦鉱表門において三池労組宮浦支部労働部長竹村季敏外二名と共に、警備中の被申請人側職員が制止したにもかかわらず、小門を乗り越えて侵入し、約二〇分間にわたつて、擅に、構内を偵察した上、小門より退去した。

(2)  (二六)申請人岩下静昌に関する事実(2)冒頭記載の事情のため、被申請人は坑木類、砂、タービンポンプその他坑内の保安および作業に必要な諸資材を清徳丸外三隻の運搬船に分載して前記南新開竪坑西岸壁から揚陸すべく昭和三五年六月一四日午前一〇時頃同岸壁に接岸を開始したところ、これに対して三池労組側は大型ピケ船第二日吉丸が被申請人側船団めがけて突進し花火を打ち込む等の妨害を開始し、また西岸壁前には勢福丸外二隻の大型ピケ船をもつて揚陸作業を妨害すべく待機していたが申請人岡本和民は三池労組員ら多数と共に右勢福丸に乗り組み、同日午前一〇時五分頃接岸を果した運搬船清徳丸、嘉栄丸に対し一斉に猛烈な投石、花火の打ち込み、発煙筒の投げ込み等集中攻撃を継続して一時右揚陸作業を中断するのやむなきにいたらしめ、更に、同日午前一〇時一〇分頃申請人小田業広外三池労組員ら数名と共に勢福丸の先端を清徳丸の右舷に突つかけて同船に乗り移り、長さ約五米の竹竿を岸壁上の被申請人側作業員に向け振り廻して揚陸作業を阻止した上、清徳丸の表、艫の繋留ロープを解き放ち或いはナイフで切断し、同船の表と勢福丸の艫を別のロープで繋ぎ合わせ、更に、同船から清徳丸の後部にも今一本のロープをかけ、右勢福丸をもつて清徳丸を全然荷揚げさせないまま強引に曳航して岸壁より引き離し、沖合約一五〇米の地点まで曳航した上、原田同船々長を脅迫して投錨せしめ、結局荷揚げを断念して島原に向け帰還させるにいたらせ、よつて被申請人の揚陸業務を完全に妨害した。

(二九)  申請人高山辰晴について 同申請人は三川鉱に採炭工として勤務していたものであるが、

(1)  (二三)申請人荒岡勇についての昭和三五年三月二八日の事実記載の際、暴徒の一員としてこれに参加し、数名の三池労組員らと共に、同繰込場内においては新労組員小川時雄に、鉱長室内においては田中三作人事係員、吉田敬電気係長、宮地巌副長らに次々と襲いかかり、いずれも所携の棍棒様のものを振つて同人らを滅多打ちし、同人らにそれぞれ傷害を負わせた外、右田中係員を昏倒させ、右吉田係長を失神させた。

(2)  右(1)記載の事実につき被疑者として逮捕勾留されたが、同年五月六日釈放されるや、(二四)申請人崎村敏男についての事実(2)記載のように、万田土手町集会所に乱暴し、新労組員らを脅迫した。

(3)  (二四)申請人崎村敏男についての事実(3)記載の際、その間の同年六月二日午後八時頃三池労組土手山下分会員ら約一三〇名位を指揮して右社宅事務所に押し入り、連日吊し上げによつて疲れ切つている田中美稔人事係員ら四名を取り囲み、棒で床をどんどん突いたり、田中係員が腰掛けている椅子を前後にガタンガタンゆすつたりしながら「帰れ、打ち殺されないと判らないのか、此奴らはデツチ上げが上手だ、追い出せ。」等と激しく吊し上げ、もつて右社宅事務所再開業務の妨害に重要な役割をなした。

(4)  同年七月、当時万田社宅地域消防隊副隊長であつたが、同月一七日午前一〇時頃、何等正等な事由がないのに、万田社宅事務所に保管中の鍵を勝手に持ち出して消防ポンプ格納庫を開き、三池労組員ら約二〇名を指揮して被申請人会社の施設である手曳式ガソリン消防ポンプ一台をホース、鵜の口、その他の備品と共に同社宅から約五キロメートル隔てた三川鉱ホツパー前広場に運び撒水に使用した。このため右社宅附近に山火事が発生した際右ポンプを出動させることができず、被申請人会社業務の運営に支障を来たさしめた。

(5)  被申請人と三池労組とは昭和三五年一一月一日中央労働委員会の斡旋により争議を終結し、同年一二月一日から全面的生産を再開することになつたが、これに先立ち、同労組三川支部の要求で統制ある行動をとる確約のもとに同年一一月五日午前九時以降同労組員ら各自の私物を収納していた脱衣箱の点検を行なわせることになつたところ、同日午前九時頃数百名の鉱員が全く無統制に入門し、内数十名の者らは鉱員脱衣場守衛室内において松井節守衛に対し「守衛は怠慢だ、責任をとれ。」等と激しくくつてかかり、更にこれを制止しようとした安田久好係員に対しても争議中の同係員の行動に難癖をつけて謝罪を迫る等して両名を吊し上げたが、その際、安田係員に対して謝罪を要求したり、「お前どま打ち殺すぞ、その内に思い知らせてやるぞ。」等と種々脅迫的言辞を浴びせる等し、もつて被申請人会社業務の運営に支障を来たさしめた。

(三〇)  申請人古城将秀について 同申請人は三川鉱に採炭工として勤務していたものであるが、

(1)  昭和三五年一一月四日午後七時三〇分頃飮酒の上万田社宅仲町浴場に入浴に赴き、偶々同浴場で須崎正司(新労組員須崎司の実弟で当時熊本電波高等学校二年生)が入浴しているのを認めるや、同人に対し、格別の理由もないのに「お前は横着だ。」というが早いか、いきなり同人の頭に湯を浴びせ、更に驚いて逃れようとする同人に追いすがつて手拳で同人の右顔面を殴打し、同人の右眼附近に打撲傷を負わせ、ついで子供を抱えて入浴しようとしていた新労組員堀辰美に対し「お前もか。」と襲いかかつて手拳で同人の右顔面を数回殴打した。

(2)  (二九)申請人高山辰晴についての事実(5)記載の際、申請人高山辰晴らが安田係員に謝罪を迫るや、三川鉱構内鉱員脱衣場守衛室内に一歩踏み込んで安田係員に対し「こいつは横着だ、こつちへ出ろ、来んなら引き摺り出すぞ。」と腰掛けていた同係員のジヤンバーの襟首を右手で掴み、両手で入口の柱に突つ張つて引き摺り出されまいと抵抗する同係員を力まかせに同室外に引き摺り出し、数名の者と共に同係員の背後から小突く、踏む、蹴る等の暴行を加えた。

叙上申請人百田昭の(1)(2)、同白鳥明の(4)、同星下喜楽の(6)、同守田末一の(2)、同崎村敏男の(3)、同高山辰晴の(3)ないし(5)の事実はいずれも労働協約第一二条一項一号(3)、三池炭鉱鉱員就業規則附属書第三号第八条三号に各該当し、申請人百田昭の(4)、白鳥明の(2)、(3)、同辻与曾吉の(2)、(3)、同星下清の(2)ないし(12)、同星下喜楽の(2)、(3)、(7)、(8)、同西村一人の(1)、同高山辰晴の(2)、同古城将秀の(1)の事実は右協約第一二条一項一号(4)イ、右就業規則附属書第三号第八条四号(イ)に各該当し、その余の事実はいずれも右協約第一二条一項一号(3)、(4)イ、右就業規則附属書第三号第八条三号、四号(イ)に各該当するので、各当該条項に基づいて申請人らを各解雇したものである。

(疎明省略)

理由

一、被申請人が石炭の採掘販売等を業とする株式会社であること、申請人らが、被申請人の従業員であつたこと、被申請人が申請人らにいずれも労働協約第一二条、三池炭鉱々員就業規則附属書第三号鉱員賞罰規則第八条に該当する行為があつたとして、申請人高山辰晴、同古城将秀に対し昭和三六年一二月一三日付で、その余の申請人らに対し同月一一日付で、それぞれ解雇の意思表示をなし、同意思表示はその頃申請人らに各到達したことはいずれも当事者間に争いがない。

二、申請人らは、いずれも右被申請人主張のような労働協約、就業規則に該当する行為はないと主張するので、被申請人の主張する申請人らの各解雇事由について検討する。

原本の存在並びに成立に争いのない甲第四号証の六ないし八、同第一九号証の三ないし五、成立に争いのない甲第一四号証、同第二一号証の一ないし四、五の一ないし三、同号証の六の一、二、同号証の七ないし二二、二三の一、二、同号証の二四ないし二六、二七の一、二、同号証の二八ないし四七、乙第一ないし三号証、同第八号証、同第一〇号証、同第一三ないし一六号証、同第一七号証の一、二、同第一九号証の一ないし一三、証人河野巌、同高野次夫、同木村正隆(一回)、同松村章、同清田移、同山田一男(一回)同古賀澄枝、同高田明、同島田二男、同灰原茂雄、同渡辺憲三(一、二回)、同菊川武光の各証言、証人松村章の証言によつて真正に成立したものと認める甲第五号証の一ないし一四、同第六号証の一ないし二一、証人清田移の証言によつて真正に成立したものと認める甲第七号証の一ないし三一、証人灰原茂雄の証言により真正に成立したものと認める甲第一三号証および申請人らの後記各解雇事由に関する事実認定で採用した各疎明を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、次の事実を認めることができる。

被申請人は九州、北海道に六山の炭鉱を有し、三池鉱業所はその内最大の炭鉱で、同鉱業所には更に三川鉱、宮浦鉱、四山鉱があり、昭和三四年当時鉱員一万数千名が従業していた。三池鉱業所にはその従業員らをもつて結成された三池炭鉱労働組合(三池労組)があり、同組合は被申請人の他の炭鉱で組織された各労働組合と共に三井鉱山労働組合連合会(三鉱連)に加盟し、また単組として日本炭鉱労働組合(炭労)に加入していた。

昭和三四年八月二八日、被申請人は同年一月頃になされたいわゆる第一次合理化による人員整理についで、被申請人会社全山で四、五〇〇名位(三池鉱業所二、二〇〇名位)の人員削減等を内容とするいわゆる第二次合理化による人員整理案を三鉱連に提出した。三池労組は右整理に反対し、被申請人、同労組間で団体交渉が行なわれたが、同年九月一〇日同交渉に決裂し、同年一〇月七日被申請人は団体交渉打切りを宣言し、同年一一月二一日中央労働委員会から申請人ら主張のようなあつせん案が提示されたが、労使双方共これを拒否し、被申請人は同年一二月二日から五日にかけて千四百数十名の従業員に対し退職勧告状を出し、なお同人らの内同月一〇日までに希望退職の申出をしなかつた者約一、二〇〇名に対して改めて解雇の通告をなし、同月一四日三池労組に対し、右指名解雇後の人員の配置転換について団体交渉の申し入れをなし、同労組が右配置転換等被申請人の要請を全面的に拒否するや、昭和三五年一月二五日から、港務所を除き、三池鉱業所の全作業場において全面的にロツクアウトをなしてその就業を拒否した。

これに対して、日本最強の組織を有する労働組合であることを自他共に許していた三池労組は、かつて昭和二八年八月被申請人が五、七三八名位の従業員の解雇を発表した際には、闘争の結果、内一、八一五名位に対する指名解雇を撤回させ、また昭和三四年一月一九日被申請人が六、〇〇〇名の人員削減案を提示した際にも、闘争の結果、一、三二四名位の退職に留めることとし、いずれも被申請人の意図を挫折せしめたとして、組合が強くならなければ労働者の生活条件はよくならぬとの強い信条の下に、右解雇は全面的に組合を弱体化し、組合運動を崩壊せしめるものとして、前記整理案の白紙撤回を求めて絶対に譲らず、右ロツクアウト当日からこれに対応して全面的な無期限ストライキに突入して相争うにいたつた。同労組側は、同組合員は勿論、その家族を含めて結束し、殊に同組合員の主婦および家族をもつて三池労組に対する協力活動を主たる目的として結成された三池炭鉱主婦会があり、同会は炭鉱主婦協議会(炭婦協)に加盟し、一致団結して被申請人側に対抗し、また炭労は石炭資本に痛打を与えるため、この整理反対闘争を三鉱連、全炭労の統一闘争に盛り上げ、総評挙げての闘争に持ち込もうと、あくまで争議を推進すべくストを支援続行しようとしていた。

ところが、その頃被申請人会社では赤字累積による賃金の遅配、欠配が続き、期末手当ももらいえない実情にあり、同組合員の中には石炭企業斜陽化によるその将来への不安と強い組合の組合員であるが故に果して労働条件がよくなるのかという組合の闘争方針に対する疑問および同労組指導者の組合員に対する強い統制と監視への不満並びに生活が経済的に恵まれないこと等の事情から、同労組の運動方針に不信と懐疑を抱く者が生じ、同年三月一五日大牟田市体育館で開催された同労組中央委員会で同組合(その頃三池労組員一四、五〇〇名位)の方針に対して批判的立場をとる者約二、〇〇〇名により同組合分裂が表面化し、同月一七日右批判的立場をとる者、同組合からの脱退者ら四、〇〇〇名の者によつて三池炭鉱新労働組合(新労組)が結成され、同組合は、組合員が就業し賃金をえて生活の安定をはかる方針で、被申請人に対し同月二三日頃から生産再開を申し入れ、被申請人の合理化案のほぼ大綱を了解し、生産に関する交渉を始め、同月二四日新労組員の就労による生産再開の協定を結び、被申請人は同月二七日新労組員に対するロツクアウトを解き、同月二八日から新労組員は被申請人会社職員と共に就労行動に出るにいたつた。これに対し三池労組は組織を挙げて、ピケを張る等により、右就労を阻止するの挙に出るにいたり、また炭労組合員を中心とした支援労組員(オルグ)も陸続として現地に集結して支援するにいたつた。そして、就労行動に出た新労組員、被申請人職員らと三池労組員、ピケ隊との間で衝突が各所において起り、なかんずく、同月二九日には四山鉱正門前でピケについていた三池労組員久保清が右衝突紛争の際に殺害されるという事件まで発生し、また三池労組と新労組間においては組織の攻防が激しく繰り広げられて行つた。

このような経緯から、三池労組員と被申請人、同職員との間や三池労組員と同労組の方針に批判的考え方を有する者、ついで新労組員との間は勿論、三池労組員、その家族と新労組員、その家族との間にも、前記三池労組からの脱退、新労組の結成、被申請人会社の職員、新労組員らによる生産再開と逐次事態の変遷と共に感情的対立も激化し、殊に三池労組員およびその家族においては同労組から新労組に走つた人達およびその家族を裏切者として憎悪敵視する感情が強く、これらは、被申請人会社の生産再開業務(被申請人会社職員、新労組員の就労、食糧、資材の搬入等)に対する阻止行動、新労組員社宅における新労組員とその家族に対する抗議デモ等の様相で表面化するにいたつた。そして、中央労働委員会のあつせんに基づき、同年一一月一日わが国労働運動史上かつてみなかつたといわれる大争議は終結するにいたつたが、その後においても、前記対立は、容易に氷解するにいたらなかつた。

以下各事実は(二四)申請人崎村敏男の(4)の事実を除き、このような状況の下において行なわれたものである。

被申請人の主張する申請人ら各人に関する解雇事由について調べてみると、次のとおりである。

(一)  申請人山田幸男  (二) 申請人平畑勇の(2)の事実について 原本の存在並びに成立に争いのない乙第二〇ないし二七号証、甲第二二号証の一ないし六(甲号各証の内後記措信しない部分を除く)、成立に争いのない乙第二八号証の一ないし八、同第三〇号証の一〇、一四、証人甲斐盈郎、同永田利雄の各証言を綜合して認定できる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人山田幸男は宮浦鉱に坑内電気工として、申請人平畑勇は同鉱に坑内機械工として勤務していたものであるが、同申請人らは昭和三五年四月一日午前一一時頃新労組員が通称通松社宅に来ているとの情報を聞き、これに抗議デモをかけるために三池労組員五、六〇名のデモ隊の先頭に立つて大牟田市新勝立町二丁目森山電器商会西側木橋附近に赴いた際、社宅調査を終え帰宅中の新労組所属鉱員甲斐盈郎、同大津秀明、同宮川斉、同坂口正哉が右木橋北側の道脇に待避しているのを見つけるや、同申請人らはデモ隊の先頭附近にいた一〇名内外の者と意思相通じ、デモ隊員において「いけいけ、やれ、やれ。」と叫びながら右甲斐ら四名に襲いかかり、同人らに対し殴る、蹴るの暴行を加え、その際申請人平畑勇において所携の旗竿で右甲斐、宮川、坂口の頭部等を殴り、申請人山田幸男において右甲斐、坂口を蹴り、右大津を押し倒す等の暴行を加え、右甲斐に対し約一〇日、右宮川に対し約一四日、右大津に対して約七日、右坂口に対して一〇日余の各治療を要する各傷害を与えたものであることを認めることができ、前記甲第二二号証の一ないし六の内叙上認定に反する部分は措信し難く、その他右認定を覆えすにたる疎明はない。

(二)  平畑勇の(1)の事実について 成立に争いのない乙第二七号証、同第三〇号証の一〇、一四、同第三一号証の二、三、四のイないしホ、五、六の(イ)ないし(ヘ)、七ないし一三、甲第二二号証の四、同第二四号証の一ないし四(乙第三一号証の五、八ないし一二、甲第二二号証の四、同第二四号証の二、三は原本の存在並びに成立共。甲二二号証の内後記措信しない部分を除く。)、証人古川博、同吉畑真澄の各証言、証人古川博の証言により真正に成立したと認める乙第三一号証の一を綜合して認定できる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は、昭和三五年三月二六日午前一〇時四〇分頃大牟田市原山町一七〇番地所在の三池鉱業所正門前に三池労組員千数百名と共にデモ行進した際、当時同鉱業所はロツクアウト中で被申請人会社は正門および通用門をすべて閉鎖し許可なく入門を許さず、職員をもつて監視していたのに、隊員数十名と共に塀、門扉を乗り越えて同鉱業所構内に乱入し、ついで正門玄関の西横にある足洗場附近で、既に他の労組員から暴行をうけ、ようやく逃れてきた被申請人会社の業務に従事中の総務課係員吉畑真澄に対してデモ隊員一〇名位と意思相通じて、殴る、蹴るの暴行を加えたが、その際、同申請人は所携の旗竿をもつて右吉畑の左頸部を突き、以上の暴行によつて同人に治療二週間を要する左頸部擦過傷等の傷害を与えたことを認めることができ、前記甲第二二号証の四の内右認定に反する部分は措信し難く、その他叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(三)  申請人下田巡一の事実について (1)の事実につき、成立に争いのない乙第三三号証の一、五の(イ)ないし(ニ)、六、甲第二五号証の一、二(乙第三三号証の一および甲号各証は原本の存在並びに成立共)、証人森竜雄の証言によると、昭和三五年四月九日午後九時三〇分頃新労組員森竜雄が大牟田市上官町ニユーヨークパチンコ店横路地において四、五名位の者から暴行を受け、治療約一四日を要する傷害を受けたこと、右暴行を受ける前にパチンコ店に申請人下田巡一がおり、同申請人が同所にいた知人の三池労組員四、五名位に同店内にいた森竜雄を指して新労組に走つた者であることを告げたことおよび同四、五名位の者が右森に対し前記暴行を加えたことが認められるが、同申請人が右暴行に関与していたことに関する証人森竜雄の証言は前掲他の疎明に照らして遽に措信し難く、その他同事実を認めるにたりる疎明はないから、(1)の事実はこれを認めることができない。

(2)の事実につき、原本の存在並びに成立に争いのない乙第三三号証の一ないし四、九、一〇、成立に争いのない乙第三三号証の七の(イ)ないし(ヘ)、八の(イ)、(ロ)、証人森竜雄の証言を綜合して認定できる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人下田巡一は宮浦鉱に仕繰工として勤務していたものであるが、昭和三五年五月二二日午前〇時三〇分頃大牟田市宮坂町八番地新労組員森竜雄方において、就寝中の同人を同家玄関先に呼び出し、他の四、五名位の者と意思相通じ、右森に対しその左眼を殴りつけた上、同人を殴り、蹴る等し、更にうつ伏せに倒れたところを踏んだり蹴つたりして暴行を加え、よつて同人に治療約三五日を要する左眉毛部挫創、頭部、頂部、背部両肩左耳介右肘部挫傷の傷害を負わせたことを認めることができ、原本の存在並びに成立に争いのない甲第二五号証の二および申請人下田巡一本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(四)  申請人百田昭の事実について (1)の事実につき、成立に争いのない乙第三八号証の一ないし三、四の(イ)、(ロ)、五、六および七、八の各(イ)、(ロ)、甲第三一号証の一、八、証人肝付兼弘の証言、申請人百田昭本人の供述(同供述中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認定できる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人百田昭は四山鉱に乾充工として勤務していたものであるが、昭和三五年一月二〇日午前五時一〇分頃、従来一〇昇部内常一番機械工として勤務していた川口宏、採鉱重要工事仕繰工として勤務していた中山義弘が、被申請人会社の人員整理による配置転換計画に基づき、その業務指示に従つて当日既に三池鉱業所四山鉱一〇昇カツペに乾充工として配役されていたところ、同申請人は四山鉱四〇〇米人車ホーム附近において、右両名の配置転換後の就労に反対し、入坑した一〇昇カツペい方(一番方)全員四二名位に対しその就業を制止し、右川口、中山に対し就労することなく昇坑するよう説得し、ついで肝付係員に対し昇坑せしめるよう交渉したが、何れも拒絶せられるや、就労のため入坑していた右い方全員に対し「二人にはどうしても仕事させるげな、業務阻害だというなら俺は首になつてもかまわないのだ、組合の指示ではないが皆が上るというなら上ろう。」等と言つて昇坑して職場を放棄することをすすめ、同日午前八時一五分頃スト指令が出るまで、右川口、中山および山隈武士を除くい方全員を昇坑させて職場を放棄せしめ、自らも放棄し、もつて被申請人会社の業務の運営に支障を来たさせたことが認められ、成立に争いのない甲第三一号証の一、二、八、申請人百田昭の供述中右認定に反する部分は措信し難く、証人木村正隆(二回)の証言が右認定に反するものではなく、その他叙上認定を覆えすにたる疎明は存しない。

(2)の事実につき成立に争いのない乙第三九号証の一ないし五、甲第三一号証の六、同第三二号証の一(後記措信しない部分を除く。)、証人森朝雄の証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、昭和三五年一月二三日当日一番方の繰込み時間である午前五時一〇分頃、同申請人は当日欠勤の届出をなしているにもかかわらず、平服のまま、四山鉱繰込場に赴き、一〇昇カツペい方に配役指示をしていた森係員、肝付係員に対し、前記同月二〇日の早昇坑についての上司への報告内容および当日昇坑後開催予定であつたい方一番方の職場常会が被申請人会社の都合で延期された理由を質問し、同係員らがその回答を拒絶し、い方の入坑を求めるや、更に職場常会の延期のこと等で係長、鉱長との面会交渉を要求しているい方全員に対し、入坑を拒否することをすすめ、ついで「皆で鉱長室まで行こうじやないか。」と言つて右い方全員の先頭に立つて鉱長室に赴き、「何故常会を開かないか。」と居丈高に詰め寄る等して押問答を続け、右い方全員の入坑を遅延せしめ、このためい方全員三七名は同日午前五時一〇分頃から午前七時四五分頃までの間入坑することなく被申請人会社業務の運営に支障を生ぜしめたことを認めることができ、前記甲第三二号証の一の内右認定に反する部分は措信し難く、その他叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(3)の事実につき、原本の存在並びに成立に争いのない甲第三三号証の二、六、乙第四〇号証の四(イ)、(ロ)、一一、一二、証人村上友幸の証言によると、昭和三五年三月二八日村上友幸、松藤吉治が負傷者二名を四山分院から天領病院まで輸送したが、当時申請人百田昭は大島第二分会で構成する四山分院前附近のピケ隊の責任者として同隊を指揮して同分院附近にあり、右輸送を始める前、同分院治療室に負傷者を運び込もうとした村上らの入室を一時阻止し、同室内で村上らの行動を見張つたこと、および村上らが負傷者の輸送を終え同日午前四時二〇分頃同分院玄関前に帰つて来た際、同申請人が同分院入口前石畳の上にいたこと、その直後、村上らが附近にいたピケ隊員らに同分院に入ることを阻止され正門の方に押しやられ暴行を受けたことが認められるが、同分院前にいた後の同申請人の行動は明らかでなく、進んで、同申請人が当時同分院前において同所に待機していた三池労組員を含むピケ隊員と意思を通じ、右村上らに対し被申請人主張のような暴行を加え、傷害を負わせ、主張の業務遂行を不能ならしめたことはこれを認めるにたる疎明はないから、同申請人に関する被申請人主張(3)の事実は認められない。

(4)の事実につき、成立に争いのない乙第四一号証の一の(イ)、(ロ)、二の(イ)ないし(ハ)、三の(イ)、(ロ)、四ないし九、甲第三四号証の一ないし九(乙第四一号証の七ないし九を除き原本の存在並びに成立共、並びに右甲号各証の内後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は、新労組員下河春雄がかつて三池労組四山支部の執行委員でありながら同労組を脱退して新労組に加入したことにかねてより憤慨していたところ、昭和三五年四月二日午後二時三〇分頃荒尾市大島熊社五三棟の一新労組員古賀小一方裏庭において、同人および偶々同所に来た右下河春雄に対し、同所に集まつて来た三池労組員、オルグら二〇名位と互いに意思を通じて右古賀、下河を取り囲み「お前どま人殺しじやないか、お前を打ち殺す位易いことだ、打ち殺すぞ、少しもんでらにやいかん。」等と言つて同人らの生命身体に危害を加える気勢を示して脅迫し、交々手拳や肘等で両人の背部、肩、臀部等をそれぞれ二、三〇回位突き、或は押す等した上、右下河の下腿部を数回蹴り、更に同人を右古賀方横の道路上に引き出して、集つて来た三池労組員、主婦会員ら約一〇〇名と共にこれを取り囲み、その両下腿部を数回蹴り、共同して右両人に暴行、脅迫を加え、右下河に対し治療三月を要する両下腿打撲擦過傷を負わせたことを認めることができ、前記甲第三四号証の一ないし九の内、叙上認定に反する部分は措信し難く、その他右認定を覆えすにたる疎明はない。

(五)  申請人原口豊の事実について (1)の事実につき、成立に争いのない乙第四三号証一、二、三の(イ)、(ロ)、四の(イ)、(ロ)、五、六の(イ)ないし(ハ)、七、甲第三八号証の八(乙第四三号証の一、二、三の(イ)、(ロ)、七、甲第三八号証の八は原本の存在成立共、並びに乙第四三号証の七、甲第三八号証の八の内後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人原口豊は四山鉱に乾充工として勤務していたものであるが、昭和三五年三月二九日午後六時半過頃同申請人方の隣家である大牟田市四山社宅福社九棟の三新労組員六倉広市方において、掛金を施した玄関の戸に衝撃を加えてその腰板一枚を破損し、被申請人会社施設に損害をおよぼし、その戸を開けて故なく右六倉方住居に侵入し、更に右六倉広市の妻カズ子の手首を握り、同人を同家玄関土間に引き摺り降して同人に暴行を加えたことを認めることができ、原本の存在成立共争いのない甲第三五号証の一、同第三六号証の二、同第三八号証の八、乙第四三号証の七の内右認定に反する部分は措信し難く、その他叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(2)の事実につき、成立に争いのない乙第四三号証の三、四の各(イ)、(ロ)、七、同第四四号証の一ないし五、六の(イ)ないし(ホ)(乙第四三号証の三の(イ)、(ロ)、同第四三号証の七、同第四四号証の一ないし三は原本の存在成立共)、証人小川タキ子、同下田光雄の各証言(乙第四三号証の七、証人下田光雄の証言中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、昭和三五年三月二九日午後七時三〇分頃同申請人は大牟田市四山社宅福社九棟の一新労組員小川米光方において、玄関の硝子戸を蹴倒しその硝子を破損し、被申請人会社施設に損害をおよぼし、ついで同日午後八時過ぎ頃同所において右小川米光の妻タキ子に対し「久保さんの殺されたのを知つとつとかい、お前はどがん思うとつとかい。」等と怒声を発し、手拳で同人の胸を数回突きながら同人を同家玄関から炊事場の棚附近まで突き押し、附近の棚に撃突させる等して暴行を加え、よつて同人に対し治療約二週間を要する後頭部打撲血腫、左背部左前胸部打撲傷の傷害を与えたことを認めることができ、原本の存在並びに成立に争いのない甲第三五号証の一、同第三六号証の一ないし三、同第三八号証の八、乙第四三号証の七、証人下田光雄の証言中右認定に反する部分は措信し難く、その他叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(3)の事実につき、成立に争いのない乙第四五号証の一、二、三の(イ)ないし(ヘ)、証人小川タキ子、同二宮シズカの証言を綜合すると、昭和三五年三月二九日午後八時三〇分頃、同申請人は大牟田市四山社宅福社一〇棟の五新労組員二宮登方において同社宅裏木戸を掛金を掛けたまま板塀からはずし、被申請人会社施設に損害をおよぼし、かつ故なく同家四畳半の間に上り込み住居に侵入したことを認めることができ、証人白川幸子の証言、申請人原口豊の供述中右認定に反する部分は措信し難く、その他叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(4)の事実につき、原本の存在並びに成立に争いのない乙第四三号証の三の(イ)、(ロ)、七、同第四六号証の一ないし二〇、二一の(イ)ないし(ニ)(乙第四三号証の七の内後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、被申請人は昭和三五年五月四日三池労組との間の福岡地方裁判所昭和三五年(ヨ)第一七七号仮処分事件において、大牟田市西港町二丁目七〇番地三池鉱業所貯炭槽(ホツパー)周辺の土地等の立入禁止および運転業務妨害禁止の仮処分決定を受けて同月七日それを公示した上、同日午後六時過頃三池鉱業所三川鉱工作副長宮崎昇、同鉱業所員および三池港務所施設課長代理安井辰男ら同港務所員の計一八名が前記貯炭槽上部施設の点検整備を行ない、更に、同貯炭槽下部施設の点検整備および運転業務を遂行するため、同貯炭槽南側階段を降りて右下部施設に赴こうとしたところ、同申請人は三池労組員ら約三〇〇名位と共謀の上同階段下に押し寄せ、右被申請人側作業員に対し、多数の威力を示し、交々「降りてこい、打ち殺すぞ、運転は絶対にさせないぞ、棺桶を用意しているぞ。」等激しく怒号し、或は黄色発煙筒を焚く等、約四〇分間位にわたつて右作業員らの身体に対し如何なる暴行をも加えかねまじい気勢を示し、同日午後六時五〇分頃前記被申請人側作業員をして右下部施設の点検整備および運転業務の遂行を断念させ、もつて威力を用い被申請人会社業務を妨害したことを認めることができ、原本の存在並びに成立に争いのない甲第三八号証の一ないし九、乙第四三号証の七の内、右認定に反する部分は措信し難く、他に叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(六)  永瀬茂、(七) 白鳥明の(1)、(八) 辻与曾吉の(1)、(九) 星下清の(1)、(一〇) 浜崎政徳、(一一) 立山寿幸の事実について

原本の存在並びに成立に争いのない乙第五五号証の一ないし三六、三七の(イ)、(ロ)、四〇、成立に争いのない乙第五五号証の三九を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人永瀬茂、同辻与曾吉、同星下清は四山鉱に坑内運搬工として、申請人白鳥明は同鉱に仕繰工として、申請人浜崎政徳は同鉱に坑内機械工として各勤務し、申請人立山寿幸は同鉱に乾充工として在籍していたものであるが、同申請人らは、昭和三五年三月二八日午後一時過頃四山鉱南門附近において、同所でピケを張つていた三池労組員、オルグら約一〇〇名と共同して、被申請人会社から同鉱事務所の電話修理を命ぜられ中型乗用車および小型バスに分乗して同所附近に赴いた被申請人会社職員伴茂雄および新労組員梅本強ら九名外株式会社三井三池製作所の従業員一〇名および電話局員二名に対し、右中型乗用車を所携の棍棒、竹棒等で乱打し、右小型バスの窓に莚をかぶせて所携の鉄棒、棍棒等で窓硝子を全部叩き壊し、これらの自動車に分乗していた新労組員らに対して、交々「裏切者出て来い、打ち殺すぞ。」等と怒鳴りながら、小型バスの破壊した窓から鉄棒等で突きまくり、或はドアをこじ開けて、中にいた者を誰彼の区別なく強打し、更に「ひつくり返せ。」と大勢で小型バスに手をかけ、激しく左右に振り動かして乗車中の新労組員がいたたまれず下車するのを待ち構えてこれを吊し上げ、その間前記梅本らを棍棒で殴打し、また中型乗用車に乗つていた伴らを暴行、脅迫によつて下車させる等多数共同して、右電話局員を除く、右伴、梅本ら二〇名に対し、暴行、脅迫を加えたが、その際、申請人永瀬は、中型乗用車からやむなく出ようとする右伴に対し背後から所携の鉄棒(長さ一米位のもの)で同人の後頭部右側に一撃を加え、その後多数の三池労組員らの暴行によつて意識を半ば喪い、附近の社宅塀に寄りかかつていた伴の顔を足で蹴り上げ、更に小型バスの破壊した窓から鉄棒を突込んで、車中で難を避けていた新労組員原正人の横腹を、同古賀走懐暉の肩、背中を、株式会社三井三池製作所従業員横山正美の腰部をそれぞれ多数回突き、申請人白鳥は小型バスの破壊した窓から所携の竹棒を突つ込み、車中で体をかがめていた右原の左腕、左脇を、新労組員紫牟田徳行の右顔面附近をそれぞれ突き、申請人辻は、小型バスの破壊した窓から所携の棒を突つ込んで、車中で体をかがめていた新労組員竹下勇の腰附近や右古賀の右背部をそれぞれ数回突き、また小型バスのドアがこじ開けられた際、車内のドア近くにいた右原を数回棒で突き、申請人星下清は、小型バスの破壊した窓から所携の棒を突つ込んで、車中で体をかがめていた右古賀の背部、肩等を数回突き、右小型バスから降りた右竹下の腰を背後から前記棒で小突き、申請人浜崎は前記中型乗用車から下車した前記伴の腕と胸元を掴んでその自由を拘束し、また前記小型バスから下車した右梅本の頭部を所携の棒で一回強打し、申請人立山は、南門附近にいた三池労組員を指導し、自らもまた率先して暴行を働いたが、なかんずく中型乗用車が南門にさしかかつた際、その前面に立ち塞がつて停止させた後、同車していた三井三池製作所従業員平島政幸に対して「打ち殺すぞ、下車しないとバスに火をつける。」旨申し向けて下車せしめ、青竹で同人の頭、肩等を五、六回殴打し、更に同人の左手小指等を四、五回殴打し、小型バスの破壊された窓から棒で同バス内にいた右竹下の腰を二回位突き、もつて右伴茂雄に対し治療一二日位を要する後頭部挫創、右手示指背面皮剥脱創(後遺症、内直筋麻痺、治療五〇日)、右紫牟田徳行に対し治療七日位を要する右側顔面挫創、右竹下勇に対し治療五日位を要する左手掌部硝子破片創、右梅本強に対し治療一〇日位を要する背部打撲傷右平島政幸に対し治療三四日位を要する頭頂部挫創、左膝、右肘等挫傷等の傷害を与えたが、右傷害は申請人らのいずれの行為によつて与えたものか知ることができないものであり、かつ、被申請人の当日の電話修理業務を不可能ならしめたことを認めることができ、原本の存在並びに成立に争いのない甲第三九号証の一ないし二九の内右認定に反する部分は措信し難く、その他右認定を覆えすにたる疎明はない。

(七)  申請人白鳥明の(2)、(一二) 申請人星下喜楽の(2)の事実について 成立に争いのない乙第四七号証の一、二および三、四の各(イ)、(ロ)、証人渡辺春枝の証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、昭和三五年四月二四日午後六時三〇分頃荒尾市宮内社宅浴場前附近において申請人白鳥明、同星下喜楽は共に三池労組員ら約二、三〇名の先頭に立ち、偶々同浴場に入浴に来た新労組員渡辺正明の妻春枝に対しその前面に立ち塞がつてにらみつけ、同人の身体等に如何なる危害を加えられるかも知れないと思わせるような態度を示し、多衆の威力を示してこれを脅迫して右浴場に入るのを妨害したことを認めることができ、成立に争いのない甲第四〇、四二号証の各一の内右認定に反する部分は措信し難く、他に叙上認定を覆えすにたる疎明は存しない。

(七)  申請人白鳥明の(3)、(一二) 申請人喜楽の(3)の事実について 成立に争いのない乙第四八号証の一、二および三、四の各(イ)、(ロ)、証人西本ミホの証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、昭和三五年四月三〇日午前六時三〇分頃申請人白鳥明、同星下喜楽は共に、三池労組員ら約三〇名位の先頭に立ち、荒尾市宮内社宅一四棟の二、新労組員渡辺正明方住宅を襲い同人不在中の同家玄関硝子戸を乱打して「出て来い、打ち殺すぞ。」等と申し向けて留守居の右渡辺正明の妻春枝に対し多衆の威力を示して脅迫したことを認めることができ、成立に争いのない甲第四〇、四二号証の各一の内右認定に反する部分は措信し難く、他に叙上認定を覆えすにたる疎明は存しない。

(七)  申請人白鳥明の(4)、(一二) 申人星下喜楽の(6)の事実について 成立に争いのない乙第四九号証の一ないし四、五の(イ)ないし(ハ)、甲第四〇号証の一、同第四二号証の一(後記措信しない部分を除く。)を綜合すると、昭和三五年八月七日午後九時頃申請人星下喜楽は、当時午後九時以降は社宅警備のため駐屯していた警官隊の入浴にあてることにしていた被申請人会社宮内社宅浴場男湯の浴槽の栓を右事情を知りながら、故なく抜いて湯を大量に流出せしめ、被申請人会社施設の利用を妨げたことを認めることができ、右甲第四二号証の一の内右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明は存しない。しかし、右浴槽の栓を抜くについて、申請人白鳥明がこれを実行或は共謀等加功をなした事実については前記各疎明を始め全疎明によつてもこれを認めることができないから、同申請人に関する右事実についてはこれを認めることができない。

(八)  申請人辻与曾吉の(2)、(3)の事実について (2)の事実につき、原本の存在並びに成立に争いのない乙第五五号証の一、四〇、同第五七号証の一、二甲第四九号証の一ないし三、成立に争いのない乙第五七号証の三、四、同第五九号証の三(同甲号証中後記措信しない部分を除く。)、証人坂本ヤエ子の証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は昭和三五年三月三〇日午前七時頃主人不在中の荒尾市宮内出目七八三番地大平社宅八三棟の二、新労組員坂本吉久方で所携のバツトを振りまわり、裏口の戸等を叩きながら、右吉久の妻ヤエ子および上野澄子に対し「お前どま皆んな外に出て来い、ばらしてしまう。」等と申し向け、今にも打たんばかりの気勢を示して同人らを脅迫したことを認めることができ、右甲第四九号証の一ないし三の内右認定に反する部分は措信し難く、その他叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(3)の事実につき、成立に争いのない乙第五八号証の一ないし三、四の(イ)、(ロ)、証人飯田孝則の証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実と併せると、同申請人は、申請人星下清外二、三名の者と共同して、昭和三五年四月二六日午後七時半過頃右大平社宅二五棟の一、新労組員飯田孝則方において、同家炊事場入口附近に立ち塞がり、右星下において飯田孝則およびその妻和子らをにらみつけ「お前達は裏切者だ、脱落分子だ、子供は一生そういう汚名を着にやならんぞ。」等と大声で怒鳴りつけ、申請人辻は右星下の傍から同人の言動に調子を合わせる態度を示す等して右飯田孝則、和子を脅迫したことを認めることができ、原本の存在並びに成立に争いのない甲第五〇号証の一、二の内右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(九)  申請人星下清の(2)ないし(12)の事実について (2)の事実につき、成立に争いのない乙第五七号証の三、同第五九号証の一ないし五、証人賀喜キヨ子の証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は昭和三五年三月三〇日午前七時過頃三池労組員、主婦会員ら五〇名位の先頭に立ち主人不在中の前記大平社宅一一三棟の二、新労組員賀喜良夫方に押しかけ「賀喜出てこい、裏切者出て来い。」等と叫びながら玄関戸、雨戸等を叩き、同家四畳半の部屋の窓の雨戸、硝子戸を突き破り、応待に出た賀喜良夫の妻キヨ子に対し、にらみつけて「親爺を出せ。」と怒鳴りつけ、同人および同家にいた牛島フタエ、中尾礼子とその子供達(当時十四才、十二才、外)に対し「朝はお早うデモ、昼は今日はデモ、夜はさようならデモをかけて毎日寝せん、社宅におられんごつしてやる。」等と怒鳴りつけ、多衆の威力を示して同人らを脅迫したことを認めることができ、成立に争いのない甲第五一号証の一、二の内右認定に反する部分は措信し難く、その他右認定を覆えすにたる疎明はない。

(3)の事実につき、成立に争いのない乙第五七号証の三、同第六〇号証の一ないし四、証人坂本ヤエ子の証言を綜合すると、同申請人は、昭和三五年四月一一日午後八時二〇分頃、三池労組員ら二名位と共に主人不在中の右大平社宅八三棟の二、新労組員坂本吉久方に赴き、同人の妻ヤエ子に対し血相を変えてにらみつけ、「お前の人命の保障は出来ん、警察がおろうがおるまいが容赦せん、俺どまやるときにはやる、裁判でんどげんなか。」と語気鋭く申し向け、同人を脅迫したことを認めることができ、右認定を覆えすにたる疎明はない。

(4)の事実につき、成立に争いのない乙第五八号証の一ないし三、四の(イ)、(ロ)、証人飯田孝則の証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は、(八)申請人辻与曾吉(3)の認定事実記載のとおり、昭和三五年四月二六日午後七時半過ぎ頃申請人辻外二、三名と共同して前記大平社宅二五棟の一、新労組員飯田孝則方において同人およびその妻和子を脅迫し、更に、同日午後八時二〇分頃三池労組員、主婦会員ら五〇名位と共同して右飯田方において、口々に、「裏切者出て来い、打ち殺すぞ。」等と怒鳴り、飯田孝則およびその家族〔妻和子、長女(当時九才)、長男(当時七才)〕を脅迫したことを認めることができ、原本の存在並びに成立に争いのない甲第五〇号証の一、二の内右認定に反する部分は措信し難く、その他右認定を覆えすにたる疎明はない。

(5)の事実につき、成立に争いのない乙第六一号証の一、二、三の(イ)、(ロ)、四の(イ)ないし(ニ)、証人近藤キクノの証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると同申請人は、昭和三五年四月二六日午後八時二〇分頃前記大平社宅内にある同社宅浴場においてオルグら五、六名位の者と共同して、浴場番の依頼を受け当日風呂番をしていた新労組員近藤幸市の母近藤キクノに対し、口々に「なし番台に座つているか、お前の子は第二組合じやなかか、風呂番することはできん、何かばばあ、お前どんば一人二人殺したつちやどげんなかぞ、お前げにもデモかくるぞ。」等と申し向け、同人を脅迫したことを認めることができ、成立に争いのない甲第五二号証の内右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(6)の事実につき、成立に争いのない乙第六四号証の一、二、三の(イ)、(ロ)、を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は昭和三五年四月二七日午後一時頃三池労組員四、五名と共に主人不在中の前記大平社宅九二棟の一、新労組員松本行芳方に押しかけ、同人の妻松本静枝に対し、右三池労組員らと共同して口々に「三池労組と主婦会の鉢巻を返せ、五、〇〇〇円の資金カンパを返せ裏切者めが打殺すぞ。」等と怒鳴りつけ、「鉢巻とカンパ金は自分で闘争本部まで持つて来て頭ば下げて謝まれ。」と申し向け、同人を脅迫したことを認めることができ、成立に争いのない甲第五四、五九号証中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(7)の事実につき、成立に争いのない乙第六二号証の一、二の(イ)、(ロ)、三の(イ)ないし(ニ)、証人坂本道代の証言を綜合すると、同申請人は昭和三五年四月二九日午後八時三〇分頃三池労組員ら五〇名位の先頭に立ち、主人不在中の前記大平社宅一三六棟の二、新労組員坂本克巳方に押しかけ、右三池労組員らと共同して「裏切者出て来い、打ち殺すぞ。」等と叫びながら同家玄関の戸、雨戸、壁板等を揺り、叩き、蹴る等して右坂本克巳の妻坂本道代に対し多衆の威力を示して同人を脅迫したことを認めることができ、成立に争いのない甲第五二、五三号証中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(8)の事実につき、成立に争いのない乙第六五号証の一、二、三の(イ)、(ロ)、を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は、昭和三五年四月三〇日午前九時頃主人不在中の前記松本行芳方において、同人の妻松本静枝に対し、三池労組員と共同し、前記(6)記載同様のことを怒鳴りつけ、同人を脅迫したことを認めることができ、成立に争いのない甲第五五、五九号証中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(9)の事実につき、成立に争いのない乙第六三号証の一、二、証人坂本克巳の証言を綜合すると、同申請人は、昭和三五年四月三〇日午後九時頃前記坂本克巳方において、附近に三池労組員らを待機させた上、右坂本方玄関戸を揺り動かしながら、血相を変えて「戸を開けて出て来い、社宅を出ろ、社宅から出て行かんなら一晩中でも大衆デモをかけるぞ。」等と怒鳴りつけ、更に同日午後九時四五分頃同人方の玄関戸を叩きながら、右同様のことを怒鳴りつけ、右坂本克巳を脅迫したことを認めることができ、成立に争いのない甲第五二号証中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(10)の事実につき、成立に争いのない乙第六六号証の一ないし三、四の(イ)、(ロ)、証人松本行芳の証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は昭和三五年五月二日午後六時過頃前記松本行芳方において、前記(6)記載同様の方法で、松本行芳を脅迫したことを認めることができ、成立に争いのない甲第五六、五九号証は必ずしも右認定に反するものではなく、その他右認定を覆えすにたる疎明はない。

(11)の事実につき、成立に争いのない乙第六七号証の一、二、三の(イ)ないし(ハ)、証人丸山ミヨ子の証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は、昭和三五年五月六日午後九時四五分頃三池労組員ら五〇名位と共に、主人不在中の前記大平社宅一〇一棟の二、新労組員丸山新方に押しかけ、玄関戸、壁板等を叩き、蹴りながら「親爺が帰つとろうが、出さんか、裏切者出て来い、出らんなら戸を蹴破るぞ。」等と怒鳴り、多衆の威力を示して、右丸山新の妻丸山ミヨ子とその子供ら長男(当時九才)、次男(当時七才)、三男(当時三才)、長女(一才)を脅迫したことを認めることができ、成立に争いのない甲第五七、五九号証中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明は存しない。

(12)の事実につき、成立に争いのない乙第六八号証の一ないし五、六の(イ)ないし(チ)、同第五七号証の三、甲第五八号証、証人菊川ムツの証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は、昭和三五年八月七日頃先に被申請人が鉱員転出後空家となつたので畳、床板をあげ、入口、窓等を釘付けし、立入禁止の表示をしていた前記大平社宅二七棟の空戸に、被申請人に無断で右釘付けを取りはずし同建物に侵入し、擅にこれを三池労組員関係子弟の夏期児童講習会に使用せしめたことを認めることができ、成立に争いのない甲第五八、五九号証中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(一二)  申請人星下喜楽の(1)、(4)、(5)、(7)、(8)の事実について (1)の事実につき、原本の存在並びに成立に争いのない乙第五〇号証の一ないし三の各(イ)、(ロ)、成立に争いのない乙第五〇号証の四の(イ)、(ロ)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人星下喜楽は四山鉱に坑内電気工として勤務していたものであるが、昭和三五年四月四日午後一〇時三〇分頃荒尾市宮内社宅三五棟の二、新労組員川後田大助方において、同人が不在中で同人の妻ユイコ(維子こと)が子供の和幸(当時七才)と共に就寝中のところを、同家の雨戸を叩き、右ユイコを起し「お前に聞きたいことがある。」と云つて雨戸を開かせて同家に上り込み、同人に対し、同人の夫大助が三池労組を脱退して新労組に入つた理由について言葉荒く詰問し、「お前は一人残つても頑張ると言つたじやないか。」と質問したのに対し、同女がその意味を解しかねて反問するや、にわかに語気を荒らげ、「何ばいいよるか、ちようりんぼのごたることを言うな、打ち殺すぞ。」と申し向けながら炬燵櫓の一角を持ち上げて落し、傍にあつた折たたみ式物差しを握り、「お前どま久保清を殺したじやつか、打ち殺すぞ。」と血相を変えて怒鳴りつけ、同人の身体に危害を加えかねまじき威勢を示して脅迫したことを認めることができ、原本の存在、成立に争いのない甲第四一号証の一の内右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。しかし、同申請人が右川後田方玄関戸の腰板一枚を足蹴りにして蹴破りこれを破損せしめたことについては、これも認めるにたりる疎明は存しないから是認しえない。

(4)の事実につき、成立に争いのない乙第五一号証の一、二の(イ)、(ロ)、三の(イ)、(ロ)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は、昭和三五年六月一二日午後二時頃、被申請人会社四山鉱川端人事係長の命令により、空戸となつた荒尾市宮内社宅七五棟の二を釘付けにするため同所に赴いた社宅事務所水本正人係員、四山鉱員牛島保、同藤田金次郎に対し、三池労組員ら約四〇名、主婦会員六〇名と共謀の上、同日午後四時頃までの間にわたり、同所で右水本係員外二名に対しデモをかけ、ついでこれを囲んで吊し上げたが、同申請人は終始右水本らの前方に在つて同人らをにらみつけて監視を続け、多衆の威力を示して右三名の生命身体に対し害を加えかねまじい態度を示して脅迫し、右三名をして社宅の釘付けを断念せしめ、その業務遂行を不能ならしめたことを認めることができ、成立に争いのない甲第四二号証の一、二の右認定に反する部分は措信し難く他に叙上認定を覆えすにたる疎明は存しない。

(5)の事実につき、原本の存在並びに成立に争いのない乙第五〇号証の三の(イ)、(ロ)、同第五二号証の一の(イ)、(ロ)、二、三、甲第四一号証の一、同第四三号証の二(甲号証中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は、昭和三五年八月二日午後九時頃から同一〇時半頃までの間において、三池労組員松本栄と共謀の上、荒尾市宮内社宅一、二一四番地飲食店飛竜こと西村ヤヨイ方において、同所に居合わせた新労組本部青年行動隊員松原昭雄の右頭部をビール瓶で強打し或いは手拳で頬を数回強打し、ついで同人を同店から連れ出して約五〇米離れたところにある犬塚八百屋店前路上まで連行したが、引き続いて同所で氏名不詳の者二、三名が右松原に暴行を加え、同人に対し治療約二五日を要する頭部挫傷、全身打撲擦過傷等を負わせたことを認めることができ、原本の存在成立共争いのない甲第四一号証の一、同第四三号証の二の内右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明は存しない。

(7)の事実につき、成立に争いのない乙第五三号証の一、二、三の(イ)ないし(ハ)、甲第四四号証の一(後記措信しない部分を除く。)証人川後田ユイコの証言を綜合すると、昭和三五年八月二二日夕方頃、前記宮内社宅三五棟の二、新労組員川後田大助方留守宅で同人の妻ユイコが窓際でミシンを使用していたところ、同申請人は三池労組員松本栄と共に同所を通りかかり、突然その窓際に立ち寄り、以前同申請人から脅迫されたため、内心同申請人を恐れている右ユイコに対し、無言のままにらみつけ、赤布を巻いた棍棒を両手で握り、窓の敷居越しにこれをユイコの方に向けて出したり引いたりして、威力を示し同人の生命身体に害を加えかねまじい態度で脅迫したことを認めることができ、成立に争いのない甲第四四号証の一の内右認定に反する部分は措信し難く、他に叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(8)の事実につき、成立に争いのない乙第五四号証の一、二、三の(イ)ないし(ハ)、証人田中又夫の証言を綜合すると、同申請人は、昭和三五年八月二四日午後八時三〇分頃前記宮内社宅八二棟の三、新労組員蔵本茂富方において、その場に居合わせた新労組員田中又夫に対し、同年三月三〇日三池労組員らが右田中方にデモをかけ玄関戸の腰板を蹴破つたりしたことにつき話がおよぶや「裏切つとつとじやけんそん位のデモ受くるとは当然じやつか。」と血相を変えて怒鳴り、ついで右手で棒を押え、肩をいからし、同人の方に身体をのり出し、同申請人の粗暴な行動を知つている右田中に対し、その生命身体に害を加えかねまじい態度で威力を示して同人を脅迫したことを認めることができ、他に叙上認定を覆えすにたる疎明は存しない。

(一三)  申請人守田末一の事実について (1)の事実につき、成立に争いのない乙第四〇号証の一ないし三、四の(イ)、(ロ)、五、六の(イ)、(ロ)、七、八、一五(一ないし三、四の(イ)、(ロ)、五、一五は原本の存在成立共)、証人村上友幸の証言を綜合すると、申請人守田末一は四山鉱に坑内運搬工として勤務していたものであるが、昭和三五年三月二八日柵内警備についていた四山鉱係員村上友幸が、同松藤吉治と共に、これより先三池労組員らピケ隊の暴行によつて負傷した四山鉱係員二名を四山分院から天領病院まで輸送した帰途、同日午前四時二〇分頃、荒尾市四山分院において三池労組員を含むピケ隊二、三〇名に取り囲まれ午前五時四〇分頃までの間にわたり、同所から同鉱正門、南門に順次連行され、その間同人らから殴打、足蹴りにする等の暴行を受け、その結果右村上は左腰薦部、左下腿部、打撲傷、腰部挫傷等全治約四〇日を要する傷害を受けたが、その際同申請人は右連行途中より四山分院前の三池労組員を含むピケ隊員と意思を通じ、右村上の襟首および腰部を掴み四山分院前から正門まで無理に連行し、途中同人の腰部、足部、背部等を各数回突き、蹴り、また道路側端のコンクリート塀に同人の体を打ちつけ、同人の右肩、右足を強打せしめる等の暴行をなし、かつ同人の柵内警備業務の遂行を不能ならしめたことを認めることができ、原本の存在並びに成立に争いのない甲第三三号証の一ないし九および証人南郷兼富の証言中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。また被申請人主張のその余の事実についてはこれを認めるにたる疎明はない。

(2)の事実につき、成立に争いのない乙第四二号証の一、二、三の(イ)ないし(ハ)、四、五、証人中尾文雄、同田中貞夫の証言、申請人守田末一本人の供述(証人田中貞夫の証言、同申請人の供述中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人はオルグを入居させるため空戸を確保せよとの三池労組の指令に従い、昭和三五年四月一七日大牟田市四山社宅福社六四棟の三において、居住者が転居した同社宅を点検の上釘付けしようとした四山人事事務所社宅管理業務担当の中尾文雄係員に対し、「何も見に来んでも地域分会で管理しとる、オルグの部屋に借りるから了解してくれ、あなたが貸さんでもこちらは借りる、何でんよかオルグを入れるぞ。」等強く言い張り、右中尾の点検、釘付けを断念せしめて同業務を妨害し、よつて同組合は同日以降同年一一月頃までオルグを入居せしめてその宿泊の用に供し、その間右社宅を無断で使用したことを認めることができ、証人近藤年雄、同田中貞夫の証言、申請人守田末一本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(一四)  申請人甲斐弘、 (一五) 申請人船盛順二、 (一六) 申請人浜田義春の事実について 原本の存在並びに成立に争いのない乙第三五号証の一三、一四、同第五六号証の一ないし四、甲第四五号証の二ないし三、同第四六号証の一ないし三、同第四七号証の一(甲号証中後記措信しない部分を除く。)、成立に争いのない乙第五六号証の五の(イ)、(ロ)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人甲斐弘、同船盛順二は四山鉱に乾充工として、申請人浜田義春は同鉱に掘進工として勤務していたものであるが、昭和三五年六月三日新労組員長松貞記、同吉田敏春は三池労組員、主婦会員らに荒尾市山吹町所在の社宅から同町三七棟所在の三池労組地域闘争本部に連行され、同日午後四時頃から午後九時四〇分頃までの間同所において三池労組員、主婦会員ら約五〇ないし八〇名に取り囲まれ、同人らから大声で怒鳴りつけられて脅迫されたが、その際、同申請人らは右三池労組員、主婦会員らと意思を通じ、右長松、吉田に対し、申請人甲斐において「おつどんな命をはめとつぞ、打ち殺してもかまわんぞ。」と怒声を発し、長松に対し右手を振り上げて殴ろうとする気勢を示し、申請人船盛において野球バツトを手にしながら「こ奴どま分からんならほんなこつ打とうかね。」と、申請人浜田において「こ奴どま分からんから外に出して揉め、立たせ、立たせ、コンクリートの石ば持つて来てその上に座らせろ。」と各大声で怒鳴りつけ、もつて多衆の威力を示しかつ多数共同して右長松、吉田らの生命身体に害を加えかねまじい態度で脅迫したことを認めることができ、右甲第四五号証の二ないし四、同第四六号証の一ないし三、同第四七号証の一の内右認定に反する部分は措信し難く、その他右認定を覆えすにたる疎明はない。

(一七)  申請人内山孝之助、 (一八) 申請人西脇中川、 (一九) 申請人西村一人の(2)の事実について 原本の存在並びに成立に争いのない乙第三〇号証の一、二のイないしハ、一〇ないし一四、甲第二三号証の二ないし四、六ないし一一、成立に争いのない乙第三〇号証の三ないし九、証人安野敬介、同大隈光雄、同横川茂春の証言(甲号各証および証人大隈光雄の証言中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人内山孝之助、同西脇中川、同西村一人はいずれも三川鉱に採炭工として勤務していたものであるが、昭和三五年六月一五日午後五時頃かねて疎開中の新労組員横川茂春が娘と共に大牟田市新港町三川鉱新港社宅二三棟の自宅に帰宅したところ、同事実を告げるマイク放送により同人方裏路地に集つた三池労組員、主婦会員、オルグら数十名と右横川茂春に対していわゆる洗濯デモをかけることを意思相通じ、同申請人らは他の数名の者と共に「外に出ろ、今日はただでは帰さん、立たんなら引き出すぞ、横着だ。」等と申し向け、右横川方屋内に侵入して恐怖の余り室内に座り込んでいる同人の腕を引つぱつたり抱え上げ押したりして同人を同家裏路地に連れ出し、ついで同家附近路上において他の三池労組員らと意思相通じ右横川に対しいわゆる洗濯デモをかけ、同人の身体を小突き廻し、仰向けに倒れた同人を蹴り或は青竹で押えつける等の暴行を加え、よつて同人に治療二〇日間位を要する左側胸腹部背腰部挫傷の傷害を与えたことを認めることができ、原本の存在成立に争いのない甲第二三号証の一ないし四、六ないし一一、証人大隈光雄の証言、申請人内山孝之助本人の供述中右認定に反する部分は措信し離く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(一九)  申請人西村一人の(1)の事実について 原本の存在並びに成立に争いのない乙第三〇号証の一、成立に争いのない乙第三二号証、甲第二六号証の一、二、証人米村ハツメ、同田崎義秋の証言、申請人西村一人本人の供述(甲号各証、証人田崎義秋の証言、同申請人の供述中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認定できる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は、昭和三五年四月一七日午後九時一〇分頃前記三川鉱新港社宅附近金比羅神社前路上において、疎開先から同社宅一五棟の自宅に家財を取りに帰り、三池労組員、主婦会員ら多勢に家を取りまかれ、「出て来てみろ、打ち殺してやる。」等と怒鳴られ、恐怖して警官三名に伴われて帰途にあつた新労組員米村実の妻ハツメとその妹貞元つや子に対し、他の三池労組員二、三〇名位と共に右ハツメらを取り囲み、口々に激しく罵つたが、その際、同申請人は右ハツメに対して「第二組合のやつは絶対に入れんぞ、只では帰さんぞ。」等と申し向けて同人を畏怖させ、もつて同人を脅迫したことを認めることができ、前記甲第二六号証の一、二、証人田崎義秋の証言、申請人西村一人本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(二〇)  申請人坂口操の事実について (1)の事実につき、原本の存在並びに成立に争いのない乙第三六号証の一のイ、ロ、二のイないしハ、三ないし六、成立に争いのない乙第三六号証の一三ないし一五、証人久保雅登、同上野正見、同本田好道、同松井節の証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると申請人坂口操は三川鉱に坑内機械工として勤務していたものであるが、昭和三五年三月二八日午前八時頃三池労組員ら十数名と共に、作業所閉鎖中の荒尾市原万田二五〇番地三川鉱万田竪坑構内に故なく侵入し、捲揚機室に立ち入り、偶々同室内にいた勤務中の保安係員本田好道および新労組員徳山照彦を強要して、折柄三池労組員ら数十名が同坑係長久保雅登、同坑主席係員上野正見に対し、前日坑内機械工緒方義房が三池労組を脱退して新労組に加入したのは同係長、主席の肩叩きによるものとして同人らを詰問等している同坑正門前道路に赴かしめ、更に同日午前九時頃右係長らが吊し上げから解放されて事務室に戻るやその後を追つて同事務室に立ち入り、同日午後三時頃まで西川、竹本ら三池労組員十数名と共に右上野主席らの再三の退去要求を無視して同室内に留まり、その間交々右係長その他の係員に対して「緒方の所在を明らかにせよ、全部がこげん言いよつても未だ分からんか。」等と執拗に難詰する等し、もつて同人らの保安に関する被申請人会社業務の運営に支障を来たさせたことを認めることができ、原本の存在、成立に争いのない甲第二九号証の一ない一五、証人井手誠の証言、申請人坂口操本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(2)の事実につき、原本の存在並びに成立に争いのない乙第三六号証の七、同第三七号証の一ないし三、甲第三〇号証の一、申請人坂口操本人の供述(同甲号証、同申請人本人の供述中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、昭和三五年四月二三日午後四時四〇分頃、同申請人と旧知の間柄である新労組員福島諭貴春が偶々荒尾市原万田一五二番地万田社宅通町一八棟の同申請人宅に立ち寄つたところ、同申請人は右福島が新労組に加入するよう勧誘に来たものと誤解して憤激し、社宅前路上でバイクにまたがつたままの右福島に対して「何しに来たか、早く帰れ、この前何と言つとつた。」と言うなり、矢庭に同人のネクタイを掴み右手拳で同人の顔面を二、三回殴打し、下駄履きのまま同人の足を数回蹴る等の暴行を加え、よつて同人に対し治療二週間を要する両下腿挫傷の傷害を負わせたことを認めることができ、右甲第三〇号証の一および申請人坂口操の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(二一)  申請人長山重治の事実について 成立に争いのない乙第三五号証の一ないし一四(一ないし四、九ないし一四は原本の存在成立共)、証人藤本寓大、同松永信男の証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人長山重治は三川鉱に採炭工として勤務していたものであるが、昭和三五年九月一八日万田社宅通町において三池労組員らと新労組員との間に紛争が生じ、その後解散して帰途についたが、同日午後九時一〇分頃同申請人ら三池労組員ら多数は荒尾市倉懸西区通称倉懸商店街附近において先行していた新労組員約一〇〇名の後方から追い迫つてこれに投石し、更に棍棒を振つてこれに襲いかかる等の暴行を加えたが、その際、同申請人は所携の棍棒をもつて新労組員松永信男の右足部を一回払い殴り、よつて同人に加療約一四日間を要する右下腿部挫傷の傷害を負わせたことを認めることができ、原本の存在並びに成立に争いのない甲第二八号証の一ないし五、申請人長山重治本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(二二)  申請人山中照司について 原本の存在並びに成立に争いのない乙第三三号証の九、一〇、同第三四号証の一ないし三、甲第二七号証の一ないし五、七ないし九、成立に争いのない乙第三四号証の四の(イ)、(ロ)、五の(イ)ないし(ト)、を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人山中照司は本所機械部水道課に機械工として勤務していたものであるが、昭和三五年三月二七日午後九時頃当時ロツクアウト中で門を閉し、三池労組員については保安要員以外の者の入構を禁止していた大牟田市青葉町七四番地所在の被申請人会社水道課正門において、同門を管理していた同課給水係長長田猛が二番方保安要員を出門させるためその通用門を開こうとしたとき、他の三池労組員ら数名と共に不意にこれを外側から内側に押し開き、右長田が驚いて入門を阻止しようとするや、右通用門から構内に侵入し、その際、右長田の右顔面を殴打する等の暴行を加え、よつて同人に治療五日間位を要する傷害を負わせ、同人の右管理業務を妨害したことを認めることができ、前記甲第二七号証の一ないし五、七ないし九の内右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明は存しない。

(二三)  申請人荒岡勇、 (二四) 申請人崎村敏男の(1)、 (二五) 申請人都甲末人、 (二九) 申請人高山辰晴の(1)の事実について 原本の存在並びに成立に争いのない乙第六九号証の一、四ないし一六、一九、同第八一号証の一ないし一二、甲第六〇号証の一のイないしホ、二ないし二七(同甲号証中後記措信しない部分を除く。)、成立に争いのない乙第六九号証の一七の(イ)ないし(ツ)、一八を綜合して認定できる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人荒岡勇は三川鉱に仕繰工として、申請人崎村敏男は同鉱に坑外運搬工として、申請人都甲末人は同鉱に坑内運搬工として、申請人高山辰晴は同鉱に採炭工として各勤務していたものであるが、同鉱においては被申請人会社の新労組員による就労計画に基づき昭和三五年三月二八日一番方から生産再開をはかり、同日午前六時三〇分過頃約四、五百名の新労組員が就労のため約一、〇〇〇名の新労組員らに援護されて、三池労組員らのピケツトラインを突破して三川鉱仮東門脇コンクリート柵を乗り越えて入構し、同鉱繰込場内に集結したところ、その後間もなく三池労組員ら多数が所携の棍棒、鉄棒等で窓、扉等を破壊して三川鉱構内繰込場、鉱長室等に乱入し、職員、新労組員らを殴打したり、被申請人会社の建物、諸施設等を破壊したが、その際同申請人らはいずれもこれに参加し、申請人荒岡は数十名の三池労組員らと共に右繰込み場内に乱入して侵入し、同所において他の三池労組員らと共同して新労組員高尾行男を所携の棍棒で数回にわたり殴打し、同人に治療約一ケ月半を要する左尺骨末端骨折等の傷害を負わせ、申請人崎村は多数の三池労組員らと共同して所携の棍棒で右繰込場の窓の硝子戸を打ち壊し被申請人会社施設を破壊し、窓から右繰込場内に乱入して侵入、申請人都甲は多数の三池労組員らと共に棍棒を携えて構内繰込場に侵入し、同三池労組員らと共謀して同所において棍棒で新労組員奈良崎伝蔵を数回にわたり殴打し、同人に治療約四〇日間を要する頭部右鼠蹊部挫傷の傷害を負わせ、申請人高山は数名の三池労組員らと共同して鉱長室内で田中三作人事係員、吉田敬電気係長、宮地巌副長らを所携の棍棒でそれぞれ数回にわたり殴打し、右田中に治療約三週間を要する頭、両肩等挫傷等の、右吉田に治療二ケ月位を要する頭頂部挫創、右第二中手骨々折の、右宮地に治療五日間位を要する頭部等挫創の各傷害を負わせたことを認めることができ、前記甲第六〇号証の一のイないしホ、二ないし二七、および成立に争いのない甲第六〇号証の二八、三七の内右認定に反する部分は措信し難く、他に叙上認定を覆えすにたる疎明はない。なお、申請人荒岡が三池労組員らと共に繰込み場の窓、扉等を破壊したこと、申請人高山が新労組員小川時雄に暴行を加えたことについては、これを認めるにたりる疎明はない。

(二四)  申請人崎村敏男の(2)、 (二九) 申請人高山辰晴の(2)の各事実について 成立に争いのない乙第七四号証、甲第六〇号証の二八、二九、三六、証人井手正光(一回)の証言、申請人高山辰晴本人の供述(同甲号各証および同証言、供述中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人崎村、同高山は前記各申請人(1)記載の事件の被疑者として申請外井手誠と共に逮捕、勾留されたが、昭和三五年五月六日釈放されるや、同申請人らは右逮捕は新労組員らの策謀によるものとなし、同逮捕、勾留されたことにつき新労組に挨拶すると称して約五〇名の三池労組員らと共に同日午後六時頃荒尾市原万田万田社宅山下町八棟の新労組万田土手町集会所に押しかけ、被申請人会社の施設である右集会所の横壁、外柵、窓格子を押す、叩く、蹴る等の乱暴をなしたが、その際、同申請人らは他の三池労組員らと共に同集会所内にいた新労組員宇野一男外一四、五名の新労組員に対して「出て来い、打ち殺すぞ。」等と怒鳴つて同人らを脅迫したことを認めることができ、右甲第六〇号証の二八、二九、三六、証人井手正光(一回)の証言、申請人高山辰晴本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(二四)  申請人崎村敏男の(3)、 (二九) 申請人高山辰晴の(3)の事実について 成立に争いのない乙第七五号証、甲第六〇号証の二八(後記措信しない部分を除く。)、証人田中美稔の証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、被申請人は昭和三五年二月下旬頃以降荒尾市原万田一五二番地所在の万田社宅事務所を一時閉鎖していたが、同年五月三一日からこれを再開することとなり、田中美稔人事係員、新労組員内野夘次雄外二名と同社宅事務所の業務(社宅の維持、管理等)につかせたところ、三池労組員ら多数は同日から同年六月二日までの間前後七回にわたり大挙して右社宅事務所に押しかけ、右田中係員ら四名の同事務所要員に怒声を浴びせ脅迫する等して吊し上げ、その間同人らの執務を殆ど不可能にし、これがため被申請人をして同社宅事務所の再開を一時断念するのやむなきにいたらしめたが、その際、申請人崎村は右三池労組員らの行為に積極的に加担して五月三一日および六月二日の二回にわたり三池労組員ら多数と共に右社宅事務所に押しかけて「お前達は何しに来たか、帰れ、お前達はロクなことをしげに来とらんじやろう、何べんでも揉んでやるぞ。」等と申し向ける等して右田中係員を吊し上げ、申請人高山は六月二日午後八時頃三池労組土手山下分会員ら約一三〇名を指揮して右社宅事務所に押し入り、連日の吊し上げによつて疲れ切つている右田中係員ら四名に対し棒で壁板、カウンター等を叩き、腰掛けている右田中係員を立たせた上「田中係員に抗議する、二ケ月半社宅事務所を閉鎖した理由を説明せよ。」と迫る等して吊し上げ、もつて右田中係員らの執務を妨害し、被申請人会社業務の運営に支障を来たさせたことを認めることができ、成立に争いのない甲第六〇号証の二八、三六、三七、証人押方勉、申請人高山辰晴本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(二四)  申請人崎村敏男の(4)の事実について 成立に争いのない乙第七六号証の一、二、甲第六〇号証の二八(後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は同僚と飲酒の上、昭和三六年九月二三日午後七時半頃荒尾市原万田万田社宅内において、帰宅中の三川鉱小川義人係員をひきとめて難癖をつけ、同人が逃れ去ろうとするやその後を追つてこれをとらえ、同社宅内鈴木理髪店附近において右同僚二、三名位と共に右小川の顔面を手拳で殴打、突く、或は蹴る等の暴行を加え、よつて同人に治療約一八日間を要する顔面および前胸部打撲、左眼瞼皮下出血の傷害を負わせたことを認めることができ、右甲第六〇号証の二八の内右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(二六)  申請人岩下静昌の(1)の事実について 成立に争いのない乙第七七号証の一ないし四、申請人岩下静昌本人の供述(同供述中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人岩下静昌は宮浦鉱に採炭工として勤務していたものであるが、昭和三五年三月二七日午後十一時五〇分頃から翌二八日正午頃までの間三池労組員らのピケ隊約四五〇名は蓮尾信次郎指揮のもとに、当時ロツクアウト中で門扉を閉め、被申請人会社の許可なく立ち入りを禁止しその旨を公示していた宮浦鉱南新開竪坑に、表門附近の柵を押し倒し、警備中の守衛から鍵を取り上げ門を開放したりして侵入し、同鉱の通気排水等を司る同竪坑の警備等に従事していた被申請人職員保安監督員中本繁樹がピケ隊の柵外への退去を要求するや、同人を吊し上げ、棒切れ、ワイヤーロープ様のもの等で同人の全身を殴打し、更に同坑事務所建物等の外壁を剥がし取り、被申請人会社所有の油や布切れを勝手に持ち出して構内諸所で焚火をし、事務所の窓硝子、腰板等を棍棒で叩き割つてその割目より同事務所内にいた警備等の業務に従事中の右負傷した中本および三九度位の高熱を出して休んでいた原芳水ら四名位の職員に対し鳶口を振り廻し、冷水を浴びせかけ、或は「お前達はここでおしまいだ、生命はなかぞ、最後までやつつくつぞ。」等と罵つたりして、暴行、脅迫をなしたが、その際同申請人は破壊した硝子窓から同事務所内に顔を突つ込み同所内の職員らに対し「俺はやるぞ、ほかんもんは知らんが俺は最後までやつつくるぞ。」と大声で怒鳴りつけ、附近にいたピケ隊員らに対し「右事務所内にいる者に対して水をぶつかけてやれ。」と怒鳴り、同人らはこれに応じて水道の蛇口から或は水槽の水を桶で注水し、その間並びにデモ隊員らの前記板壁を棍棒で叩いたり突いたりしている間「やれ、やれ、やつつけてしまえ。」と怒鳴りつけて脅迫し、右業務を妨害したことを認めることができ、成立に争いのない甲第六六号証、申請人岩下静昌本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(二八)  申請人岡本和民の(1)の事実について 成立に争いのない乙第七三号証の一、二、三の(イ)、(ロ)、(ハ)、甲第六四号証、申請人岡本和民本人の供述(同甲号証および同供述中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人岡本和民は宮浦鉱の採炭工として在籍していたものであるが、昭和三五年三月二七日午後九時三五分頃、当時ロツクアウト中で門扉を閉じていた宮浦鉱の表門において、三池労組宮浦支部労働部長竹季敏外二名と共に、警備中の被申請人側職員の制止を無視して、小門を乗り越える等して同鉱構内に侵入し、かつ約二〇分間にわたつて擅に同構内を偵察した上、同小門より退去したことを認めることができ、成立に争いのない甲第六四号証、申請人岡本和民本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、その他右認定を覆えすにたる疎明はない。

(二六) 申請人岩下静昌の(2)の事実について 原本の存在成立に争いのない乙第七〇号証の二ないし五、同第七八号証の一ないし一九、二〇の(ロ)、二八ないし三二、成立に争いのない乙第七〇号証の七の(イ)ないし(ハ)、八の(イ)、(ロ)、同第七八号証の二〇の(イ)、二一の(イ)、(ロ)、二二、二三、二五ないし二七、三三、甲第六七号証の一、証人渡辺芳達、同笠原宏、同松田敏男、同松田修の各証言を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、三池鉱業所の各鉱においては昭和三五年三月二八日以降三池労組の厳重なピケのため外部との正常な交通は全く遮断され、坑内の保安を維持する等に必要な人員資材を補給することも不可能な状態になつたので、被申請人は非常手段として坑内保安上最も必要な坑木類約六千本を運搬船を用いて宮浦鉱南新開竪坑の西岸壁より荷揚げした上同竪坑より坑内に搬入し、坑道を通じて各鉱に配分すべく、昭和三五年五月一四日午前一〇時頃坑木類を満載した運搬船三隻が同坑西岸壁に接岸し、直ちに揚陸作業が開始されたが、その際、同申請人は他の三池労組員ら十数名と共に小型ピケ船に責任者として乗り組み、同乗の三池労組員らと共同して、再三反覆して右作業中の運搬船三隻に至近距離まで肉迫して、船上或は陸上の作業員らを目がけて激しく薪、石等を投げつける等して右揚陸作業を妨害し、かつ作業員中に負傷者を生ぜしめ、更に、同日正午過頃右坑木類荷揚げ作業の護衛等にあたつた被申請人側小型船二隻が大牟田川上流の被申請人会社試錐船船着場に向け進行中であるのを右小型ピケ船で追跡し、同乗の三池労組員らと共同して右被申請人側の船に乗り込み運転者に竹槍を突きつけ「エンジンを止めんか、止めんと突き殺すぞ。」等と申し向ける等してこれを脅迫して、右小型船二隻を同川右岸浜貯木場附近のピケ隊の船着場に連行し、乗り組んでいた職員および新労組員ら四名を強いて下船せしめ、陸上の三池労組のピケ隊に引き渡し、右四名を大牟田市不知火町の三池労組本部に拉致せしめるにいたらしめたことを認めることができ、原本の存在成立に争いのない甲第六一号証の一ないし六、同第六二号証の二、証人森田満明の証言、申請人岩下静昌本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(二七)  申請人小田業広の(1)の事実について 原本の存在成立に争いのない乙第七〇号証の二、成立に争いのない乙第七〇号証の八の(イ)、同第七二号証の一ないし五、甲第六三号証の一、証人倉岡隆輔、同渡辺芳達の各証言、申請人小田業広本人の供述(右甲号証および右申請人本人の供述中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人小田業広は宮浦鉱に掘進工として勤務していたものであるが、被申請人は、昭和三五年五月二三日坑内保安並びに作業に必要な坑木類、資材類を福徳丸外三隻に分載して宮浦鉱南新開竪坑西岸壁より揚陸しようとし、運輸丸外三隻の護衛船をもつて警戒しながら同日午前六時三〇分頃一斉に接岸し揚陸作業を開始した。これに対し三池労組側は同坑北側柵外より花火を打ち込んだり、小型ピケ船三隻をもつて運搬船に接近し、投石、花火等により右作業を妨害したが、その際、同申請人は小型ピケ船に乗り組んで右妨害行為に参加し、午前六時四〇分頃他の三池労組員約一〇名と共同して揚陸作業中の被申請人側運搬船福徳丸に乗り移り、同船の乗組員らに対して竹竿を突きつけ、或は振り廻したりなどしてその作業を中断させ、更に同船と岸壁との間にわたされた右揚陸作業に必要な道板を除去しようと試みる等して揚陸作業を妨害したことを認めることができ、成立に争いのない甲第六三号証の一、申請人小田業広本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、その他叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(二七)  申請人小田業広の(2)、 申請人岡本和民氏の(2)の事実について 原本の存在並びに成立に争いのない乙第七〇号証の一、二、六、九、同第七一号証の一ないし一六、二二、甲第六二号証の六(同甲号証中後記措信しない部分を除く。)、成立に争いのない乙第七〇号証の七の(イ)ないし(ハ)、八の(イ)、(ロ)、第七一号証の一七の(1)ないし(3)、一八の(1)ないし(3)、一九ないし二一、二三ないし二六、証人渡辺芳達、同倉岡隆輔の証言、同倉岡隆輔の証言により真正に成立したと認める乙第七一号証の二七を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、被申請人は、昭和三五年六月一四日坑木類、砂、ポンプその他坑内の保安および作業に必要な諸資材を清徳丸外三隻の運搬船に分載して宮浦鉱南新開竪坑西岸壁より揚陸しようとし同日午前一〇時頃接岸を開始した。これに対して三池労組側は大型ピケ船第二日吉丸が被申請人側団船めがけて突進し花火を打込む等の妨害をなし、一方西岸壁前には勢福丸外二隻の大型ピケ船をもつて被申請人側運搬船の揚陸作業を妨害すべく待機していたが、申請人小田、同岡本は三池労組員ら多数と共に右ピケ船勢福丸に乗り組み、同日午前一〇時過頃右三池労組員ら数名と共同して勢福丸の先端を清徳丸の右舷に接舷せしめてこれに乗り移り、長さ約五米の竹竿を岸壁上の被申請人側作業員に向け振り廻して同作業員らの作業を阻止し、清徳丸の表、艫双方の繋留ロープを解き放ち、或は刃物で切断する等して清徳丸の表と勢福丸の表とをロープをもつてつなぎ合せ、勢福丸をもつて清徳丸を、全然荷揚げさせないまま曳航して強いて岸壁より引き離し、沖合約一五〇来の地点迄曳航した上、原田清徳丸船長を脅迫して投錨せしめ、結局荷揚げを断念して島原に向け帰還させるにいたらせ、もつて被申請人の前記坑内諸資材の搬入、補給業務を妨害したことを認めることができ、原本の存在成立共争いのない甲第六二号証の六、七、申請人小田業広、同岡本和民各本人の右供述中右認定に反する部分は措信し難く、その他叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(二六)  申請人岩下静昌の(3)の事実について 成立に争いのない乙第七九号証の一、二、三の一ないし一三、同号証の四、五、同第七八号証の三三、甲第六五号証、同第六七号証の一、証人笠原宏、同森田満明の証言(右甲第六五号証、証人森田満明の証言中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると被申請人は各鉱に籠城して作業中の職員、新労組所属鉱員らの交替を船舶により南新開竪坑において行なうべく、昭和三五年六月二九日午前一一時四〇分頃新たな入構者約二七〇名を上陸させ、交替による出構者ほぼ同数を乗船させるため運輸丸、大島丸の二隻を右岸壁に接岸せしめようとしたところ、三池労組は陸上に約一〇〇〇名余のピケ隊、海上には大小約一〇隻のピケ船を配置しこれらの船から被申請人側輸送船や陸上作業員らに対して激しく投石する等して、右接岸、交替を妨害したが、この際、同申請人は他の三池労組員ら数名と共に小型ピケ船に責任者として乗り組み、同労組員らと共同して陸上にある三池労組員ら約二八名位を右妨害行為に参加させるため、大型ピケ船勢福丸に輸送し、或は同勢福丸からロープを引つ張つてきてロープに取り付けたフツクを岸壁に打ち込み、被申請人側輸送船の接岸の阻止を試みる等して交替業務を妨害したことを認めることができ、前記甲第六五号証、証人森田満明の証言、申請人岩下静昌本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、その他叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(二六)  申請人岩下静昌の(4)の事実について 成立に争いのない乙第七〇号証の八(ロ)、乙第八〇の一ないし三、四、(イ)、(ロ)、五、同第七八号証の三三、甲第六五号証、同第六七号証の一、証人渡辺芳達、同森田満明の証言(甲第六五号証、証人森田満明の証言中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、被申請人は昭和三五年七月七日坑木類、フライアツシユ、セメント等坑内保安上必要な資材を大黒丸、昭福丸外二隻の運搬船に分載し、他に大島丸等の護衛船を配して南新開竪坑西岸壁より揚陸を企て、右坑木、資材船は同日午前六時一〇分頃揚陸作業のため右岸壁に接岸しようとしたところ、三池労組は陸上にはピケ隊約五五〇名、海上には三池労組組合長宮川睦男、炭労副委員長野口一馬らの乗り組んだ指揮船第二日吉丸以下一五隻位の大型ピケ船並びに数隻の小型ピケ船を配置し、接岸作業が開始されるや、大型ピケ船相互間にロープを張り渡したり、被申請人側運搬船と岸壁との間に大型ピケ船が割り込んだりして接岸を拒み、更にピケ船を運搬船に接舷させて乗り移り同船乗組員に対して棍棒で殴りつけ、竹槍で突きかかる等の暴行をなし、運搬船にロープをかけて沖合或は大牟田川の方に曳航して接岸を不能ならしめ、その間ピケ船からは激しく投石や花火、発煙筒を打ち込む等の暴行をなし、被申請人側作業員らの九〇名以上に重軽傷を負わせ、同日午前八時一五分頃にいたり、被申請人は運搬船四隻中坑木船三隻の接岸荷揚げを断念するのやむなきにいたつたが、この際、同申請人は小型ピケ船に責任者として乗り組み、陸上より大型ピケ船へピケ隊員を輸送し、また右小型ピケ船の乗組員らと共同して被申請人側運搬船等に投石する等激しく荷揚げ作業を妨害したことを認めることができ、前記甲第六五号証、証人森田満明の証言、申請人岩下静昌本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、その他叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

(二九)  申請人高山辰晴の(4)の事実について 成立に争いのない乙第八二号証によつて認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、同申請人は昭和三五年七月当時万田社宅の地域消防隊副隊長であつたが、同月一七日午前一〇時頃、何等正当な事由がないのに荒尾市原万田万田社宅事務所に保管中の鍵を勝手に持ち出して同事務所横の消防ポンプ格納庫を開け、三池労組員ら約二〇名を指揮して被申請人会社の施設である手曳式ガソリン消防ポンプ一台をホース、筒先、その他の備品と共に万田社宅から約五キロメートル隔てた三川鉱ホツパー前広場に運び込み、撒水等に使用し、このため同月二〇日午後一時過頃万田社宅事務所附近にある同市宮内上井手道一、一六九番地被申請人会社万田火薬庫附近に山火事が発生し、同火薬庫敷地内にも延焼した際、被申請人として消火活動のため当然同ポンプを出動準備ないし出動させるべきであつたのにこれができず、被申請人会社業務の運営に支障を来たさせたことを認めることができ、成立に争いのない甲第六〇号証の二九、三七、申請人高山辰晴本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆えすにたる疎明はない。

(三〇)  申請人古城将秀の(1)の事実について 成立に争いのない乙第八四号証の一、二によつて認められる事実に当事者間に争いのない事実を併せると、申請人古城将秀は三川鉱に採炭工として勤務していたものであるが、昭和三五年一一月四日午後七時三〇分頃、飲酒の上、荒尾市原万田万田社宅仲町浴場に赴き、偶々同浴場において入浴中の須崎正司(新労組員須崎司の実弟で当時熊本にある君ケ淵電波高等学校二年生)に対し、格別の理由もないのに「お前は横着だ。」と言うが早いか、いきなり同人の頭に湯を浴びせかけ、驚いて逃れようとする同人に追いすがつて二回にわたり左手拳で同人の右顔面を殴打し、よつて同人の右眼附近に打撲傷を負わせ、ついで子供を抱えて浴槽に入つていた新労組員堀辰美に対し、何等理由もないのに「お前もか、お前は横着だぞ。」等と怒鳴りつけながら手拳でいきなり同人の右顔面を数回殴打したことを認めることができ、右認定を覆えすにたる疎明はない。

(二九)  申請人高山辰晴の(5)、 (三〇) 申請人古城将秀の(2)の事実について 成立に争いのない乙第八三号証の一、二、甲第六〇号証の二九、三七、証人宮地巌、同安田久好、同沖正信、同井手正光(二回)の証言、申請人高山辰晴本人の供述(同甲号証および証人沖正信、同井手正光の証言同申請人の供述中後記措信しない部分を除く。)を綜合して認められる事実に当事者間に争いのない事実を綜合すると、被申請人と三池労組は昭和三五年一一月一日中央労働委員会の斡旋により争議を終結し、同年一二月一日から全面的に生産を再開することになつたが、これに先立ち三川鉱においては同年一一月四日三池労組三川支部から被申請人に対し所属組合員たる鉱員各自の私物を収納していた脱衣箱の中を点検させてほしい旨の要求があり、協議の結果組合員が責任を持つて右鉱員らを適当な人員に分けて入門させ、かつ統制のある行動をとること、紛失物等問題を生じたときは組合執行部で纒めて被申請人と話合いをすること等の約束のもとに同年一一月五日午前九時以降右点検を行なわせることになつた。ところが同日午前九時頃一五〇名余の鉱員が無統制に入門し、入門後内五〇名位の者は鉱員脱衣場守衛室において、松井節守衛に対し、「脱衣箱の錠前が壊れている、鉄帽がない、守衛は盗人の番をするのが役目じやないか、守衛の責任だ。」等と激しくくつてかかり、かつ紛失物の確認につき被申請人側守衛が立会するか否かについて被申請人側と鉱員側に解釈のくい違いがあつたことから鉱員らは守衛、係員にその確認を迫り、更にこれを制止しようとした安田久好係員に対して争議中の同係員の行動に難癖つけて謝罪を迫る等して右両名を吊し上げたが、その際、申請人高山は、安田係員に対して「お前はニユースカーで第一組合は暴力団だと放送した、ここで謝れ、謝らんか。」と謝罪を要求し、更に後記申請人古城から暴行を受けた後逃れ去る安田係員に対し「覚えておれ、打ち殺すぞ、その内に思い知らせてやる。」等と申し向け、申請人古城は、申請人高山が右のように安田係員に対して謝罪を迫るや、守衛室内に一歩踏み込んで「こいつは横着だ、こつちへ出て来て謝れ、来んなら引き摺り出すぞ。」と腰掛けていた同係員のジヤンバーの胸倉を掴み、両手で入口の柱に突つ張つて引き摺り出されまいと抵抗する同係員を力まかせに同室外に引き摺り出し、数名の三池労組員と共に同係員に対し小突く、蹴る等の暴行を加え、もつて被申請人会社業務の運営に支障を来たさせたことを認めることができ、前記甲第六〇号証の二九、三七、証人沖正信、同押方勉、同井手正光(二回)、申請人高山辰晴本人の供述中右認定に反する部分は措信し難く、他に叙上認定を覆えすにたる疎明はない。

三、以上認定した申請人らの所為につき、被申請人が該当すると主張する労働協約、就業規則の各条項およびその該当性の有無について検討する。

成立に争いのない甲第一、二号証によると、労働協約第一二条一項三号、四号イ(被申請人が同項一号(3)、(4)イと主張するのは上記のことと認める。)、並びに三池炭鉱々員就業規則附属書第三号鉱員賞罰規則第八条三号、四号(イ)の各条項において、各その三号では「故意に会社施設に損害を及ぼし又は業務の運営に支障を来たさせたもの(就業規則では、者)」を「業務阻害者」として、各その四号の、協約ではイ、就業規則では(イ)、では「事業場の内外を問わず刑事法令に違反し悪質と認められるもの(就業規則では、者)」を「法規その他違反者」として、協約においては、その事項に該当するときは不都合解雇として解雇する旨、就業規則においては、その各号の一に該当するときは懲戒解雇する旨の規定があることが認められる。

而して以上認定した申請人らの行為のうち、刑事法令違反行為は、(二四)申請人崎村敏男の(4)の行為を除いて、本件三池争議中専ら右争議に随伴しまたはこれを背景として行なわれたものであつてこれを要約すれば、(一)被申請人会社又は同会社職制等に対する大衆抗議行動に伴う同会社職員に対する暴行、傷害行為、(二)被申請人会社職員および新労組員の行なう必要資材の陸揚げ等会社業務に対する威力による妨害行為、並びにこれに伴う会社職員および新労組員に対する暴行、傷害行為、(三)社宅およびその周辺における新労組員に対する大衆抗議行動に伴う住居侵入、暴行傷害、同じく新労組員の家族に対する集団又は単独による脅迫行為等に大別される。

ところで、叙上認定の本件争議の特異性とその経過、なかんずく、三池労組の分裂と新労組の結成、被申請人の生産再開、新労組員の強行就労と逐次、事態の逼迫に応じ三池労組と被申請人および新労組との対立確執が日毎に激化していつた状況、並びに大衆行動下における群集心理等による個人の行動の衝動的粗暴化や精神的均衡の喪失、その他争議長期化のもたらす労使間の協同、信頼関係の衰退等の事情を併せ考えると、本件争議中瞬間的、偶発的に争議参加者の行為に多少の行き過ぎのあることはある程度やむをえないところであり、その行為の態様や結果の程度の如何によつては一般的違法行為との対比において違法行為者としての責任を追及することが妥当でなく又その必要もない場合が少くないことは否定し難いところである。

しかし一方、個人の人格の尊厳は民主社会存立の不可欠の前提であり最大の尊重が要求されるから前記認定の如き特異性を持つ本件争議においても、前記認定のように個人の身体、自由、私生活の平穏等個人の基本的権利を高度の不当性を伴つて侵害するが如き暴力の行使は許されず、また前記認定の如き平和的説得の限度を著しく逸脱した暴力による業務妨害行為を合法とみる余地はない。

申請人ら(但し、後記申請人甲斐弘、同船盛順二、同浜田義春を除く。)の前記認定の刑事法令違反行為はいずれも正当な争議行為ないし組合活動と見ることはできないから、企業秩序との関係において前掲労働協約、就業規則の懲戒規定の適用をうけることは明らかである。

また、前記認定のような、申請人らの社宅等の硝子、腰板等を損壊する等の行為、並びに入坑を遅延させ、作業を放棄し、放棄せしめ、作業のための各種修理、点検、構内、社宅等の管理、警備および必要資材等の揚陸、人員の交替等各種業務の運営を妨害するような行為についてもその行為の態様、結果等に照せば前記認定の刑事法違反の行為とともに懲戒の対象とすることは必ずしも不当ではないということができる。

このような見地に立つて前記認定の申請人らの各所為並びにこれら所為を通じて申請人ら各人について、その被申請人会社施設に対して及ぼした損害の内容、程度等および運営に支障を来たさせた業務の内容、阻害の程度、時期、態様等および刑事法令該当行為の動機、内容、程度、結果、違反行為の回数、違反した刑事法令の内容、その他情状等一切の事情を綜合勘案してみると、申請人山田幸男の所為は、右協約第一二条一項三号、右規則第八条三号(以下単に三号と略称する。)、および刑法第二〇四条所定の傷害の罪として右協約第一二条一項四号イ、右規則第八条四号(イ)(以下単に四号イと略称する。)に、申請人平畑勇の(1)、(2)の所為は各三号に、および(1)の所為は刑法第一三〇条、第二〇四条所定の住居侵入、傷害の罪、(2)の所為は同法第二〇四条所定の傷害の罪として四号イに、申請人下田巡一の(2)の所為は刑法第二〇四条所定の傷害の罪として四号イに、申請人百田昭の(1)、(2)の所為は各三号に、(4)の所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪並びに刑法第二〇四条所定の傷害の罪として四号イに、申請人原口豊の(1)ないし(4)の所為は各三号におよび(1)の所為は刑法第一三〇条、第二〇八条、第二六〇条所定の住居侵入、暴行、建造物損壊の罪、(2)の所為は同法第二〇四条、第二六一条所定の傷害、器物損壊の罪、(3)の所為は同法第一三〇条、第二六一条所定の住居侵入、器物損壊の罪、(4)の所為は同法第二三四条所定の威力業務妨害の罪として四号イに、申請人永瀬茂、同立山寿幸の所為は各三号に、および各暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪並びに刑法第二〇四条所定の傷害の罪として各四号イに、申請人白鳥明の(1)の所為は三号に、および同所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪、並びに刑法第二〇四条所定の傷害の罪、(2)、(3)の所為は各暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪として四号イに、申請人辻与曾吉の(1)の所為は三号に、および同所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪、(2)、(3)の所為は各刑法第二二二条所定の脅迫の罪として四号イに、申請人星下清の(1)の所為は三号に、および(1)、(2)、(7)、(11)の所為は各暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪、(3)ないし(6)、(8)ないし(10)の所為は各刑法第二二二条所定の脅迫の罪、(12)の所為は同法第一三〇条所定の住居侵入の罪として四号イに、申請人浜崎政徳の所為は三号に、および暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪として四号イに、申請人星下喜楽の(4)、(6)の所為は各三号に、および(1)、(7)、(8)の所為は各刑法第二二二条所定の脅迫の罪、(2)ないし(4)の所為は各暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪、(5)の所為は刑法第二〇四条所定の傷害の罪として四号イに、申請人守田末一の(1)、(2)の所為は各三号に、および(1)の所為は刑法第二〇八条所定の暴行の罪として四号イに、申請人内山孝之助、同西脇中川の所為は各刑法第一三〇条、第二〇四条所定の住居侵入、傷害の罪として各四号イに、申請人西村一人の(1)の所為は刑法第二二二条所定の脅迫の罪、(2)の所為は同法第一三〇条、第二〇四条所定の住居侵入、傷害の罪として四号イに、申請人坂口操の(1)の所為は三号に、および同所為は刑法第一三〇条、第二二三条所定の住居侵入、強要の罪、(2)の所為は同法第二〇四条所定の傷害の罪として四号イに、申請人長山重治の所為は刑法第二〇四条所定の傷害の罪として四号イに、申請人山中照司の所為は三号に、および刑法第二〇四条所定の傷害の罪として四号イに、申請人荒岡勇、同都甲末人の所為は各暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪、刑法第一三〇条、第二〇四条所定の住居侵入、傷害の罪として各四号イに、申請人崎村敏男の(3)の所為は三号に、および(1)の所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪、刑法第一三〇条所定の住居侵入の罪、(2)の所為は同法第二二二条所定の脅迫の罪、(4)の所為は同法第二〇四条所定の傷害の罪として四号イに、申請人岩下静昌の(1)ないし(4)の所為は各三号に、および(1)の所為は刑法第二二二条所定の脅迫の罪として四号イに、申請人小田業広の(1)、(2)の所為は各三号に、およびいずれも暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪、刑法一三〇条、第二三四条所定の船舶侵入、威力業務妨害の罪として四号イに、申請人岡本和民の(2)の所為は三号に、および(1)の所為は刑法第一三〇条所定の住居侵入の罪、(2)の所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪、刑法第一三〇条、第二三四条所定の船舶侵入、威力業務妨害の罪として四号イに、申請人高山辰晴の(3)ないし(5)の所為は各三号に、および(1)の所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪、刑法第一三〇条、第二〇四条所定の住居侵入、傷害の罪、(2)の行為は同法第二二二条所定の脅迫の罪として四号イに、申請人古城将秀の(2)の所為は三号に、および(1)の所為は刑法第二〇八条、第二〇四条所定の、暴行、傷害の罪、(2)の所為は同法第二〇八条所定の暴行の罪として四号イに、各該当するものというべきである。

申請人甲斐弘、同船盛順二、同浜田義春の右各所為はいずれも暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条一項所定の罪に該当するものであるが、更に仔細にこれら事実についてみると、前記同申請人らに関する事実認定のところに掲示した全疎明によると、右申請人ら三名はいずれも、長松、吉田が既に他の三池労組員によつて山吹町闘争本部に連行され、同家屋南六畳の間に並んで座らされ、三池労組員、主婦会員ら約五〇ないし八〇名に取りまかれ、これらの中の者から大声で怒鳴られる等して抗議されていたところに、途中から時を異にし各別に赴いたもので、申請人甲斐弘は、右闘争本部から動員の連絡をうけて同所に赴き、右長松の直ぐ前に膝を突き合わせるようにして座り、前記認定のような行為をしたが、その後間もなく長松らの前を退去しており、同人らの前にいたのも同日午後五時半前後頃の約二、三分から五分間位にいたるまでのごく短時間であつたことが認められ、右退去後同闘争本部にいたことおよび右長松らに対し右以外の行為を自ら直接なしたことについてはこれを認めるにたりる疎明はなく、同申請人が怒鳴つた「おつどんな生命をはめとつぞ。」というのもこの争議に労働者として生命をはめているということを言つたことが窺われ、その内容そのものとしては直ちに非難することはできないものであること、申請人船盛順二については、同日午後五時半過頃前記認定の行為をなしたことが認められる他、同申請人が右闘争本部にいた時間も明らかでなく、右認定の所為以外の行為を自ら直接なしたことについてはこれを認めるにたりる疎明はなく、また当時申請人以外にもバツトを持つて、畳をトントンと叩いていた者もあつたことが窺われること、申請人浜田義春は、座つている右長松、吉田から三、五米位、その間に同人らを取り囲んでいる三池労組員ら四、五人の間隔をおいたところから、多数の三池労組員らが大声を出している中で、いわばヤジを飛ばすような格好で、前記認定のようなことを怒鳴つたものであること、もつとも同申請人は午後六時頃までの間約一時間三〇分位の間、同闘争本部にいたことが認められるけれども、その間右長松らに対し右所為以外の行為を自ら直接なしたことについてはこれを認めるにたりる疎明はないこと、およびかように右申請人ら三名は、右午後四時頃から同九時四〇分頃までの間にわたつて行なわれた脅迫行為について、その間右長松、吉田を取り囲んで怒鳴る等していた前記多数の、人的構成も終始一定していたものとも認められない人達の中に、それぞれ一時加わり、前記認定の各所為に出たにすぎないものと認めるの外なく、終始主犯的、指導的役割を果したものとは認め難いこと、並びに当時の三池労組、新労組間の対立、抗争関係等前記認定した事実と、右申請人ら三名について被申請人が解雇の事由として主張する事実はいずれも前記認定の所為のみであつて他にあるものと認められないことを併せ考えると、申請人甲斐弘が前記認定のように「打ち殺してもかまわんぞ。」と怒声を発し右長松に対し右手を振り上げて殴ろうとする気勢を示したこと、および右疎明によつて認められる、同申請人らがいずれも右所為につき各懲役二月、一年間執行猶予の刑事判決の言渡しを受けていること等を考慮してみても、右各所為に基づいてみた右申請人ら三名は、いずれも右協約、規則四号イ所定の懲戒解雇に値する悪質と認められる者とは認め難く、もとより右協約、規則三号にいう業務の運営に支障を来たさせた者に該当するものとも認められない。

四、申請人らは本件解雇が不当労働行為であると主張するので、なかんずく、右申請人甲斐弘、同船盛順二、同浜田義春を除く申請人らの関係について按ずるに、申請人らの組合役員等の経歴が別紙記載のごとくであることは、被申請人において明らかに争わないところであり、同事実によつて認められる組合役員等の経歴を有する申請人らがそれぞれ同地位に相応する組合活動をしていたことは推認するに難くないけれども、被申請人が申請人らを解雇したのは申請人らがかねてから熱心に組合活動をしていたことを嫌い三池労組を切り崩す意図でなしたものであることについてはこれを認めるにたる疎明はなく、却つて前掲全疎明によれば本件解雇を決定づけるものは申請人らの前記各認定の各所為によるものと認めることができ、もとより同各所為が正当な組合活動の範囲に属するものとは認められないから、申請人らの右主張はこれを採用することはできない。

五、申請人らは本件解雇は信義則に違反し、解雇権の濫用であると主張するので、右申請人甲斐弘、同船盛順二、同浜田義春を除く申請人らの関係について按ずるに、その理由として主張する(一)の事実関係については前記二、の冒頭において認定のとおりであり、同(二)(1)の点については、組合員と被申請人側職員、新労組員との間の感情的対立が激化し、労働争議という異常な興奮に包まれた雰囲気の中で組合の指令に従い積極的に闘争に参加すればする程暴力事件に連座する機会も多くならざるをえないという事情のもとでなされたものであつたとしても、暴力の行使が正当化されるものではなく、またこのような場における暴力事犯は本来懲戒になじまないものであるというものではなく、同(二)(2)の点については、申請人らの中で損害をおよぼした会社施設、支障を来たさせた業務運営の多くが争議状況下におけるものであつて、それが非争議状態の下におけるものと異つたものであつたことは窺いうるけれども、その余の事実についてはこれを認めるにたりる疎明はなく、同(二)(3)の点については、被申請人が争議中三池労組に対して数々の切り崩しによる不当労働行為をなしたことはこれを認めるにたりる充分の疎明はないから、これら事実の存在を理由に、被申請人には労働者に対して三池争議の責任を追及し懲戒解雇処分にする資格はないとの主張も採用しえず、同(二)(4)の点については、三池争議を長期化し混乱に追い込み解決を困難にしたのは被申請人の経営者の不手際、不始末によるものであることを認めるにたる充分の疎明もないから、同事実の存在を理由に、被申請人が労働者の責任を追及することが公平を欠くという主張も採用しえない。同主張する(二)(5)(6)の点については、成立に争いのない乙第八号証、証人渡辺憲三(一回)、同灰原茂雄の各証言および証人渡辺憲三の同証言により真正に成立したものと認める乙第四ないし七号証並びに前記申請人らの各事実認定に供した各疎明並びに弁論の全趣旨に徴すると、被申請人は三池争議に関する責任追及として申請人ら三〇名位および三池労組の最高指導者一〇名位を懲戒解雇していること、申請人古城将秀を除く申請人らが右争議中の所為につき起訴され、その内申請人岩下静昌を除く申請人らがいずれも有罪の判決を受け、右申請人古城を除く申請人らについては右起訴事実ないしは、判決において有罪と認定された事実が同申請人らに対する被申請人の解雇事由の全部または一部とされていること、右申請人ら以外の争議参加者で同争議中の行為につき起訴され、同申請人らより重いまたは同じ程度の量刑の有罪判決を受けた者もあつたこと、被申請人就業規則中懲戒事由の軽重に応じて懲戒処分に段階を設けていることが認められるけれども、同時に同申請人ら以外の従業員で起訴され有罪判決を受けた者の多くは本件懲戒解雇当時既に解雇の扱いとなつており或は退職をしていたことが窺われると共に、三池争議中刑事法令に違反した実行行為者に対する被申請人の責任追及は、争議終了後五ケ月の期間をおき、行為者の勤務状態、人物、行動、情状等を被申請人において調査判断して行なうこととし、同期間経過後にいたるまで更に当該行為の内容を始め右各事項の右調査検討を重ねた上、五百数十名におよぶ行為者の内起訴された者八十数名の中から右申請人古城、同高山を除く申請人らについて任意退職を勧告の上、解雇をなすにいたつたことが認められ(右証人灰原茂雄の証言中右認定に反する部分は措信しない。)、また右申請人古城、同高山についても従業員としての適格性について調査検討の上右同様解雇をなすにいたつたものであることが窺われ、前記申請人らについて本件懲戒解雇事由とされた前記全認定事実並びにこれら事実に関する一切の事情を考慮してみても、被申請人が同申請人らを各懲戒解雇に処したことが著しく不合理であるとは認められない。

以上によれば、前記申請人らの右信義則違反、解雇権濫用の主張は認められない。

六、してみると、申請人甲斐弘、同船盛順二、同浜田義春に対する本件懲戒解雇は右労働協約、就業規則の解釈、適用を誤つたもので無効であり、その余の申請人らに対する本件懲戒解雇は有効であつてこれを違法、無効とする同申請人らの主張は採用しえない。

七、申請人甲斐弘、同船盛順二、同浜田義春につき仮処分の必要性について按ずるに、前記甲第四五号証の四、同第四六号証の三、同第四七号証の一並びに成立に争いのない甲第四五号証の五、六、同第四七号証の二、三、申請人甲斐弘、同浜田義春本人の供述によると、同申請人らはいずれも被申請人から支払われる賃金を唯一の収入として生計を維持していたが、本件解雇処分により被申請人から従業員としての取り扱いを拒絶され、扶養家族を抱えて生活に困窮していることが一応認められるので、本件仮処分の必要性があるものというべきである。

八、よつて申請人甲斐弘、同船盛順二、同浜田義春の本件仮処分申請は理由があるので、保証を立てさせないで、これを認容することとし、その余の申請人らについては仮処分における被保全権利の疎明を欠くことになるので爾余の争点について判断するまでもなく同申請人らの仮処分申請はいずれも失当として却下すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条一項を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 松村利智 菅浩行 石川哲男)

(別紙省略)

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